ゆふぎりのおきな


 駅に降りると日が暮れかけていて、そのまま川のほうへうろうろしにいった。風が吹いて寒い河川敷はひとけがない。荒れた草地をかきわけて流れのそばまで降りていくと、川のにおいと音がする。そこは流れが急に深くなっていて、とぷとぷと、ゆったりとなにか低く呟いているような音に聴こえる。
 たばこをすっていると、犬を連れた知らないじいさんが話しかけてきた。犬はそこいらじゅうの枯れ草に頭を突っ込んで落ち着きがない。「あっちで子供が鮎をとっていたよ」というようなことを唐突に話しはじめたので、「こんな時期でも鮎ってとれるんですね。へえ」と応えると、「卵を産み終わったヤツだからね、佃煮にでもしないと食えないやつだけどもね」みたいな話をしていた。ああ、こうして知らないじいさんに(突然、ふわっとしたマイペースで)話しかけられるなんて、私が好きで読んでいる日記の人みたいな情景じゃないか、、などと思いつつ、しかし、こういうときはいったいどういう話をしたらいいんだろうかと腹の底でうろたえ、(なぜだか知らないが)こういうとき、日記の人はどういうふうに応えていたっけ?、どういうふうに書いていたっけ?、などということが頭をかけめぐったが、つとめて平静をよそおい暗い対岸やら流れの遠景を眺めるふりをしていた。
 そういえば一年前のちょうど今ごろ同じような夕暮れ時に、その河川敷を歩いていたら対岸からラッパの音が聴こえてきたことがあった。姿は見えないが夕霧にかすむ対岸の黒々とした木立のほうを眺め、ラッパの練習の音を聴いていた。演歌かなにかの懐メロみたいな曲だったなあ。と、急にそんな話でもじいさんにしてみようかと思ったけれど、やはり気が小さいというか、ゆとりがないというか、話の先々のことをあれこれ考えてしまい、じいさんの産卵後の痩せた鮎の話をただ黙って聴いていた。
 私の安カメラも作文も夕霧を映さない。工夫がたりない。