観ると多分また描きたくなるけど描けないのが悲しいので、ピクシブを覗くのは避けていたんだけど、久々に覗いてみたら閲覧登録者がアホみたいに増えていて驚く。単純にピクシブ全体の利用者が増えているだけで、驚くようなことじゃないのかも知れないけど、もう何年も投稿していないのに観に来て下さる方がいるのは、素敵な絵描きの方々が僕のやつをブックマークしてくれているおかげで、そうでなければ埋もれてしまうのだろうし、ありがたいなあと感じる。
 それで、離れていた間に閲覧登録してくれた方々の作品を観ていたら止まらなくなり、(約半数はロム専の方々なのだけれど)見終わるのに数日かかった。

 以下、絵を眺めていて感じたことのメモなど。長いので収納します。

●プロとして本の表紙を描いちゃうような方の超大作っぽい絵を観ると、どうしても息苦しく感じてしまう(プロでも、挿絵とかゲームの部品くらいの感じだと、まだ気楽に見れるんだけど)。でも息苦しいってのは個人的な趣味の問題で、じっさい絵はとても立派なんだから、ここはフォロー仕返すべきなんだろか、、と悩む。自分もプロで仕事のつもりでピクシブを利用しているのなら悩むこともない簡単な話なのだけど。。そんなふうに感じてしまう自分という人間は、本当に徹頭徹尾アマチュアのクルクルパーの役立たず野郎だ。
 絵とか別に興味ないよーという観衆(じゃなくて通行人?)にもアピール出来る「作業量」とか「スケール感」という見せ方が出来るのもプロなんだろうけど、たぶん自分が観たいのは、むき出しの感性とか着想とか切れ味みたいなので、それより前に「作業量」のことを感じさせてしまう絵はただただ息苦しい。。
 それは昔の自分の仕事の時のことを思い出すからかな?とも思ったけど、そもそも学生の時から、真っ白いキャンバスに描き始めるとき(あるいはエスキースとか設計図の段階)の気持ち(期待感や予感や瑞々しさ)みたいなのを、絵が終わったあともそのまま持続させたり増幅させるにはどうしたらいいんだろうか?と、執拗に「絵のはじまり方と終わり方」のことばかり考えていた。だから始まり方や終わり方が、単純に上手かったり(計算?)、想像もつかなかったりするやつ(天才とか天然?)には弱い。「どうやって始まってるのかワケ分からねーな」とか「そこで終わらせるか!そんで投稿するか!」だとか考えさせる絵はおもしろいし、飽きない。
 というか、自分が(ピクシブに投稿する用に)描いていたときは全然気にしなかったのに、人のを観るときはそうやって観てしまうもんなんだなー。自分が投稿用に描いてたやつは、作業の感じが「版画」っぽかったなと思った。下絵、刷り(イラレからホトショへ持っていくときのパスからピクセル化の塩梅)、塗り、仕上げと、肯定がほぼルーチン化していて、それぞれの職人気分を、ああでもないこうでもないと楽しんでいた感じ。

●同人系の人がクソうまい。たぶん絵を描くのが生業で、息抜きに投稿してる感じの人たちで、アイディア一発とか、描く快感だけを純粋に定着したような投稿で好みだったりする。ただ元ネタのことがよく分からんので歯がゆい。
 アカギ、忍たまイナイレがどうのという人が多くて、僕にはまったく分からないから大根泥棒氏に「僕の描くやつとなんか共通点でもあるのか?」と尋ねたら「まったく分からん。ないんじゃない?」とのことだった。話のテーストとか、世代的なもんなんだろうか?

●登録者の方々のところを回って、気になった絵をブックマークにぼんぼん放り込むあいだも「うまい絵なら(訓練すれば)誰でも描けるけど、好かれる絵を描くのは難しい」という、いつかの誰かの言葉が頭をぐるぐるする。「人に好かれる絵」ってなんなのだろうか。目に映る現実や図像(いつか誰かの絵やマンガ)をそのままなぞってみても面白くない。どう歪ませるか。「自然な歪みは美しい、作為の歪みは嫌味だ」という言葉があったなあ、なんの言葉だっけ?とググったら昔の自分の日記が引っかかって*1、読み返してみるとなんだかまるっきり同じようなことを書いていて、すっかり忘れていた。全く進歩がない。。

●データ圧縮の画像の荒れと図(線や塗り)の絡みの美しさが、なんと言っていいのか、しっくり来る表現がずっと見つからなかったんだけど、ふと「ドライヴ感」という言葉が思い浮かび、自分の中では比較的フィットする感じがした。
 描くスピードや手癖や身体性みたいなドライヴ感が生楽器の演奏だとしたら、データ圧縮の画像の荒れと図の絡みのドライヴ感は、ある種の電子楽器の演奏が帯びるそれになんとなく似ている感じがした。http://youtu.be/W55FccdcI7gみたいな感じとか、もっと安っぽいチンピラ電化パンクみたいな感じというか。

●前にブックマークしていた絵*2を三年ぶりにまた眺めていたら、なんだか急に泣きそうになった。他のブックマークした絵は、3年前に良いと感じた印象とさほど変らなかったり慣れてしまうものだけれど、その絵は以前よりもなんだかしみじみと胸に迫る感じで、作者の「愚直に書いてます」というコメントとともに、じわじわしみ込んで来る。
 普段は、きれいとかかっこいいとか気が利いてるとか頭で感じる(考える?)けど、3年ぶりに眺めたその絵は、頭じゃなくて心が感じているような気がした。自分の心境とか、歳のせいなんだろうか。