(絵に描いた)金盥を待つ作文


 長い夢をみて目覚めた。途中で起きて夢の出来事をメモしてまた寝て、また起きてメモしてということをくり返したけれど、それらまるごとぜんぶ夢だった。生々しい印象があったんだけど起きたらきれいに忘れていた。聞いたこともない苗字と名前が出てきたけど、それも忘れた。あまりにもきれいさっぱり忘れているので、夢の中で「夢をみる」という台本のト書きを読んだだけのような気もしてきた。ほんとうになにかをみてなにかを感じたのだろうか? 覚醒している(と思われる)いまの感覚を暫定的な基準として、夢のなかの意識が混濁しているだの、生々しいだのと感じとるけれど、今この瞬間、ドリフのように頭に金盥が落ちてきてもう一段階目が覚めるようなことがあるのかも知れないし、通りがかりの知らない他人がこれを読めば「(なんか知らないけれど必死に)夢を思い出して記録しようとしている人→夢の続きをみている人」で、ただ意識の混濁したクルクルパーということなんだろう。

 「落花飴」という粉砕された落花生が練り込まれた飴と、袋入りの豆(胡桃、アーモンド、マカダミアナッツカシューナッツ)をじゃりじゃり食べていると口の中がワケが分からないまま夜が明けていた。堅い飴は臼歯で、堅めの豆は犬歯で、柔い豆は前歯で、それぞれ歯触りと力加減がちょうどよい具合となる場所の歯をつかって丹念に噛み砕いてゆく。そうしていると、この飴と無数の豆の破片だらけの口の中の感じは私の混濁した意識そのままじゃないか。外はただ静かで、ただ白っぽい。ぼんやりと外が明けはじめたくらいから、しんと張りつめた無音が圧してきてなにかと張り合うので、私の内と外の境界がしきりに意識される。そのなにかは「こんなふうにしてる場合じゃない」と張りつめ、内側から朝の光と静けさを押し返そうとしているように感じるのだけど、それは私の意識のようにも(なぜだか)私の意識ではないようにも感じる。
 感じたままなるべく真摯に書こうとすると、けっきょく混濁したわけの分からないものになるからそれなら書かない方がいいんじゃないかといつも思うけど、今朝は混濁したまま書いて吐き出したから私の意識じゃないなにかがそうさせた。しんとした朝の空気を押し返そうとする知らないやつがいる。