母がホームセンターで買ってきた叙情歌集より

 実家に帰省中、どこだかのホームセンターで買ってきたという叙情歌の廉価版オムニバスCDというのをずっと母が聴いていて、しょっちゅう同じ曲がかかるので、嗚呼たんに曲数が少ないのか、だから安いのかね、みたいな会話があった。そのなかでも誰か知らない人が歌う『遠くへ行きたい』がやたらと耳に残って、おもわず口づさんでしまう。知っている曲だし今まで何を感じるということもなかったのだけれど、やはり歳のせいなのかなあ、などと感じた。


 ある同世代の音楽家の方が『遠くへ行きたい』をカバーしているのを思い出して、嗚呼その人もそのとき似たような心境だったんだろうか、いやそれともただの偶然で、自分とはぜんぜん違う気持ちだったんだろうか、どうなのかな〜などと懐かしく思い出した。
 『遠くへ行きたい』をカバーされるもっと以前、その方のオリジナル曲について「時間が止ったような死を思わせるような静けさが結晶したかのような素敵な曲や歌ですばらしいですね」みたいなことを褒めるつもりで書いたら、「褒めてくれるのは有り難いけど、やっぱり曲を通して人と関わり合うような?生きてる曲じゃないと〜」みたいな短いやりとりがその昔にあって、その時のことを思い出すと、音楽を作ってお金をもらっているプロの人を相手に、自分みたいな何者でもないわけの分からない人間が、なんて生意気で阿呆なことを書いてしまったのだろうと恥ずかしくなる。
 その方が同世代というのと、その方の音楽から似た者どうしのにおいというか、妙な親しみをずっと感じていて、あの時はつい生意気なことを無邪気にべらべら書いてしまったような気がする。

 母の叙情歌集とはぜんぜん関係ないけれど、「男はつらいよ」の寅さんのテーマ曲もちかごろ妙に脳内で再生される(ふだん耳にするある音が、イントロの最初の音に似て聴こえるため、そのつど脳内再生される)。今までちゃんと聴いたことがなかったので、動画サイトで聴いてみてやっとどんなことをうたっている歌なのか、お話なのかがうかがい知れた。祖父がこの曲を好きで酔っぱらうとよく歌っていた記憶があったり、実家には未婚の妹もいるので、実家ではこういう話はあんま出来んよなーと、夜更けの定食屋でぼそぼそ食べながら考えていると、窓の外を腰が曲がり体が傾いた浮浪者ふうの老人がよろよろと横切って行くのが見え、はて、どこかで見たようなことがあるな、、と思ったら、ここに来る十数分前に自分が自転車で追い抜いた知らない人で、それをいまここに座ってなにがしか食べながら眺めている自分、嗚呼この感じなんかに似ているなーとまた別のことを考え出すうち食事はおわり、気づいたら熱いお茶をのんでいた。






タンゴふう?の音色のちあきさんのカバーは、なぜかマネキンの首の絵がついていて、そこで僕はイヤダさんを思い出しましたね。