ふたつの結婚

『知らないはがき』
 だいぶ前に「結婚しましたという」葉書が届いたのだけれど苗字も名前も心当たりがない。「また●●とレコードの話をしましょう」という一文から思い当たる人がいたけれど、やはり名前が違うのでお手上げだった。連絡して確かめてみれば早いのだけれど、自分みたいな人がまたのこのこ現れて幸せなアレにアレをさすというのも迷惑なようで気がひけてしまい、けっきょくそのまま放置してしまった。そしてつい最近になって、結婚したのはやはりその人で、婿入りして苗字が変わったのだと聞いた(記憶違いでなければ、名前が一文字違うのは謎のままなのだけれど)。今ごろになって「おめでとうございます」も変だよなあと、困った。
 自分にとっては、ほとんどすれ違うように出会った人たち(ふたり)のことを思いだす。いつかの場所と時間、きれぎれの記憶の光景のあいだを埋める、その人の歌のことを思いだす。歌声のことを思いだす。時代がかった乳色のパイル地のポロシャツ、大きな帽子の陰で見えない表情とピアノの上を動く長い腕を思い出す。いつかの喫茶店の窓際の真昼の光と色校正、互いの声も聴きとれない高架線路下で握手した手の感触と温度を思いだす。握手の意味(なんで人は、自分は、握手するんだろう)を思い、しばらく呆然とする。
 真夜中に独り、今となっては何もかもきれいに見える思い出をかき集めて、はがきの住所にある街で暮らしているというふたりのことを想像すると、なんだかわけの分からない思いで胸がいっぱいになってしまった。いくら考えても、どんな言葉がぴったりくるのか分からない。つきなみな、誰かの言葉みたいなのが頭を埋め尽くす。おめでとう。おめでとう。どうかすえながく、おしあわせに。(2012.11)

 という没日記の相手に、今朝やっと手紙を出すことが出来た。寝付けないので未明に起きだして書く。くさいことを書くと「しばらく会わないうちに、またクルクルパーが進行してんな」と思われかねないから、いたって普通に書く。
 いつか誰かが「貧乏の気持ち」だか「貧すれば鈍する」ということについて「手紙を貰うも、返す気持ちの余裕がなくて、貯まった手紙にまた圧迫されて云々」ということを書いていたのをふと思い出して、何で読んだんだっけ、誰の言葉だっけと、ここしばらく頭をぐるぐるしていたけど、今朝、一つだけ軽くなった。

 ちゃんと手紙の返事を出そうと思ったのは、つい最近、大将(というあだ名の、別のお知り合い)の結婚を知ったことも関係あるのかも知れない。ネットラジオの片隅で出会った頃のことを思いだす。夜中に放送して、よくエンディングにかけていた曲がユーチューブにあった。曲を書く人、ピアノを弾く人、曲をかける人、それを聴く人。3年だか4年の時を越えて、一つの曲が人の交差点になった。。と、またクルクルパーが夢想する。おめでとう。おめでとう。(3/20)






いまも思い出すって言っていただろう 絵具のついたシャツのままで朝まで騒いだよね
描けなかった未来の今日はふたり なつかしい時計ははずそう
とざした心、自分らしさに立てこもってた ナイーヴという砦すてさるんだ
きみは勘がするどいからこわい 朝まできみといたいのに