15歳の君と15歳の頃の僕と、おっさんの僕


 ここの作文が若い人の目に触れることもあり得るということをぜんぜん考えてなかった。まず自分が(いちおう年齢的には)大人なのだという自覚がぜんぜんないし、子供のままで感覚が止まっているただのクルクルパーだから考えてもみなかった。
 ものすごくあたりまえだけど、今の若い人というのは自分の若い頃とはぜんぜん違うんだろう。それを想像してみようとするけどぜんぜんおいつかない。僕が子供の時はインターネット、スマホなんてのはもちろん、ケータイすらなかった。そういうのが普通にあって、あたりまえに使っている今の子供からしたら、僕くらいの世代の子供時代の景色ってのはどう感じるんだろう。僕が上の世代の子供時代を想像するような感じ。空地に来る紙芝居屋を水飴をねりねりしつつ鼻水を垂らして眺めてるような、のどかな時代だな〜という感じなんだろか。それとも、バブル期と重なってるからまた別の独特の印象もあるんだろうか。

 昨日にひき続き、また貧しい食事の話なんだけど。
 子供のころ、マンガのこち亀両さんの子供時代、みたいな話だったろうか)で「コロッケが浸るくらいソースをどばどばかけて、さらに上から箸で平たくなるよう押し潰してコロッケの表面積を何倍にも増やして、それで米をたくさん食う」みたいな話*1を読んで、それがやたらウマそうなのと工夫してる感じに痺れて、さっそく家の夕飯で真似したら家族にとても嫌な顔をされた。味もべつにピンと来なかったけど、まあそれで満足だった。
 そうする必要がなければ別にやらなくていいことで、おっさんになってからは(そうする必要があるので)3個入り百円の、値段以外褒める部分が見つからないようなコロッケを買ってきては、ソースをどばどばかけて平たく潰して米を食っていると「嗚呼、この感じだったんだな、あの時の両さん、、」と、しみじみとおいしい。

 インスタントラーメンやらレトルトのカレーやらソースどばどばコロッケみたいな食事をしている最中に、翻訳ブログの「外人の日本食に関する反応」みたいなのを眺めると、なぜだかおいしく感じる。日本人の食文化や感覚とはまったく断絶した想定外の方向から、的外れだったり時に鋭い言葉が飛んでくるので、わけの分からない想像力が刺激され、目の前のカップラーメンやらソースまみれのコロッケが急に尊くありがたいものに思えてくる。
 こういう方法はどうなんだろうか。工夫といえば工夫だけど、両さんのソースどばどば扁平コロッケみたいな、いかにも直感に訴えるタイプじゃないからダメだろうか。でも今の若い人は子供ん時からネットだってケータイだってあるんだから、想像力のスイッチをいれるソース(ソースじゃないほうの)は無限にあるはずで、ソース(ソースの方の)どばどばコロッケより、そういうやり方の方がいいのかな、、どうなのかなあ、、と、頼まれもしないことをだらだら考えていた。(3/19)


*1:画像は見つからなかったけど、こんなやり取りがひっかかった。http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1355366463 「コロッケを平らに潰して広げてトンカツソースかけて食べる家族を見たことあるかい?」「私はありません。」。。。『立板に水』というか『立板にウスターソース』というか。。