花のはなし


 日曜日。寝そこなって朦朧とした頭でなんとか庭園を散歩していた。遠くに一本だけ白い花が咲く木があって(目が悪いので実際あんまりよく見えてないんだけども)ぼんやりしたまま「あ、梅だ」とつぶやくと「梅なんかとっくに散ってるし、あんなにデカくねえよ。木蓮だろうが」と一緒に歩いていた人に一喝された。竹林の前を通ると「竹の花は百年だかに一度しか咲かない」という話をされて「ああ、そういえば竹の花って見たことねえな。花咲くんだ、竹、、」とか「しょっちゅう咲いたらそこいらじゅう竹だらけになってしまうのかね」などと話しながら、ずっとぼんやりしていた。
 僕の適当な視力や知識がつくる景色の中で(僕が梅と間違えた)木蓮の花の一つ一つが、傾いた木漏れ陽の光と混じり合ったり、ぜんぜん違えよと主張したりしながら、適当に白く、適当に美しい感じで咲いていた。

 いつも読んでいる日記(自分と同じただの素人がぼんやり書いてるようなやつ)の人が急に花の話を始めたりすると、弱っているのかな?と心配したりする。そうかと思えばしょっちゅう花の話をしている人もいて、それぞれ色んなことを書くけれど、そういう人たちは優しかったり感受性や想像力が豊かなんだろうなとつくづく思う。僕はといえば、花や植物のことを全然知らないからか、そうとうガサツだからか、他人の花の話を読むとあれこれ余計なことを考えてしまうから心のどこかで躊躇があるのか、あまり花のことを書いた覚えがない。
 他人の花の話を読んだり写真をみる時は「植物は性器を空に突き上げていつも逆立ちして云々」といういつかの誰かの言葉を思い出す。
 朝日がきれいとか、流れる水がきれいとか、植物の緑がきれいとか、星がきれいだとか、人間が人間になる前からの生き物の記憶のようなものが「嗚呼、無闇矢鱈ときれいだなあ。『美しい』ってなんだか分からねえし、どうも言うのも書くのも気恥ずかしいけどそう言うしかないし、思っちゃうんだから仕方ねえよなあ」という感情を抱かせるのだとしたら、僕自身が花(性器)のたたずまいに心を動かされて、なんだかわけの分からない気分になったりするのはどういうことなんだろう。だから他人がどんな花をみて、どう感じて、どう書くのかもなんとなく気になる。


 奇妙な色や形をした花や、ぜんぜん普通のありふれた花、いろいろある。もりもりと飾りつけられた切花は非現実的なシチュエーションのポルノ?、雑草の一輪は素人モノだろうか、つぼみとロリコン趣味、枯れた花と熟女趣味、じゃあ泥の上に落ちた一枚の花びらは?云々。。
 だいぶあたたかいので未明に公園でたばこと缶コーヒーで、花と遠いような近いような欲望周辺について呆然と連想していた。もう桜が咲き始めていて、それを脳死状態(たぶん、そうしたら気が済むくらいの感じ)で撮ったりしたあと食堂に入る。カウンターまで流しの水が飛んできて「うああスミマセン」と慌てた若い店員が唐揚げをサービスしてくれた。こんな量と安さが売りのチェーン店で、こちらも(たぶん)威圧感を与えるような見た目でもないただのしょぼくれた客なのに、ずいぶん親切な店員だなあ、タダの唐揚げうめえなあと感心していると花のことはすっかり頭から消えて、やはり花より唐揚げのクルクルパーだと思った。