ドアノブ

 早朝、床に水をまき散らかすような音で目覚める。隣室へ続くドアを開けるとすぐ吐瀉物があって面食らう。これは今までない目覚め方だなー。酒飲みとか酒飲みと暮らしている人にはありふれた光景なんだろか、、などと思いつつ、ぼそぼそ文句を言いながらそこを大股で避けて洗面所まで行こうと、体重をあずけるようにドアノブに手をかける、すると今度はドアノブがまるごとすっぽ抜けた。「嗚呼しちめんどくせえことになった」と吐瀉物の掃除が終わるのを待ってからドアノブを元通りにくっつけようとするが全然だめで、押しても引いても回しても「俺はもうドアノブじゃなくてただのノブだから」とでも言わんばかりにとりつくしまもなく拒絶される。しばらく放置してみるが、そこは出入り以外にも換気や室温調整などで頻繁に開閉するドアなので、「あーこれからどうするかな、めんどくせえな〜ドアノブって大切なんだな、、」と寝ぼけたまま煙草。気を取り直してインターネットで検索してみる。「ドアノブ 修理」。するとなんやかんやいっぱい出てきて、一個ずつ見ていくが該当するドアノブになかなか当たらない。「なんだドアノブってこんなにいろいろあんのかよ、しちめんどくせえな」とまたうんざりしつつ、どうにかそれらしき型の修理方法を見つける。ドアノブ全体ではなく、台座部分だけを時計回りに回すとネジのように固定される仕組みのようで、そのとおりに試すとウソみたいに簡単に直る。むしろ以前よりがっちりとドアに固定され、ノブを握った手応えも鮮やかで実に心強い。
 インターネットって便利だなあ、修理方法(というか体験談)を書いてくれていた人ありがとう。俺なんか一つも世の役に立つようなこと書いてねえのにほんとスンマセン、、という気分で参考写真のリンク元らしきブログを辿って読むと、そこにはドアノブが外れて数日間困り続ける人の様子が淡々と綴られていた。途中で諦めてはまたあれこれやってのくり返し。ドアにノブがなくて微妙に困る気分が今ははっきりと共感でき、俺も一歩間違えればこうなってたなと、ほっとする。
 昼過ぎに出かける。総菜パンを買い、森をぬけた広場のベンチで食べる。よく晴れて景色が妙に明るく光っている。パンを噛む間も、喉をとおり腹の底まで落ちる間もずっと耳元で風が鳴っていて、いつもどのくらい噛んで飲みこみ次の一口に取りかかっていたか、いろいろおぼつかなくなる。明るくて風の強いところで何かを食べると子供の頃にもどったような気分がする。それからまた森を歩く。暗いところも見えないし明るすぎるところも見えない、光の強さの丁度よいごく一部しか目には見えないという当たり前のことがなぜだかしきりに意識される。自分が歩いて観ている森の大部分は勝手な想像やら類推で補っている。だからたぶん人それぞれの想像力や気分によって同じ森でも大きさや形が変わる。
 夕方にスーパーで材料を買い、夜は牛スジのシチューにして作ってたべる。(2/24)