わくわく動物ランド


 昼すぎ。なんだかんだでまた神社の森へ出かける。ものすごく寒い。思えば澱んだ空気が漂う地所ばかり巡っていた頃と極端に傾向が変わった(ただ、寒いから遠くに出るのがめんどくさいという理由)。忌み地と神社、それぞれで感じる静けさの中身について注意し比較するように歩いてみるけれど、いまひとつ分からない。全然違うんだけど、それの原因がなんなのか分からない。高地と低地、乾燥と湿潤、弥生と縄文的なことなんだろうか。
 池の鴨を眺めていて、雄鴨の首の鮮やかな緑色が雌を魅きつけるのは単に綺麗とかいう理由ではなく、それだけ目立っていても補食されず生き残っている→強い雄の証明との仕組みなのだという話を聞く。出所を尋ねてみると「わくわく動物ランド」と即答し堂々としたものである。大根泥棒と話していると「わくわく動物ランド」出典の蘊蓄話がやたらと多く、この人の頭を割った断面の円グラフの何割かは「わくわく動物ランド」なんじゃないかと恐ろしくなる。平成の世となってもはや四半世紀というのに、なにもそこまで自信満々で即答しなくてもいいんじゃないかと余計な心配もする。自分も人のことを言えたもんじゃないけれど、今どき「わくわく動物ランド」に全幅の信頼を寄せるのはどうなのか。

 森の中の休憩所に初めて立ち寄り、おでんを食べる。「がんもどき」は雁の肉を模した精進料理が由来らしいが、なんで鴨じゃなくて雁なのか?みたいな例によって埒の飽かない話となる。(2/16)



 なにかの編集盤を聴いている。昔の子供の唱歌集。曲目を見ると日本の曲が2曲、そのあとに韓国の曲が1曲という構成で進んでいく。かわいらしい子供の声でいいなと思ったり、ひょうきんな所ではニヤニヤする。なにかの作戦本部かアジトのよう暗い部屋で、古い紙に木炭で線を引いている。木炭の先はボソボソして線はささくれ立ち、微細な粉を散らす。あらかじめある点を結んでいくようにゆるい曲線を引いていき、そこを何かが進んでいくらしい。子供の声はずっと続いていて、それを聴きながら僕は黙々と線をひく。とつぜん部屋の景色がめちゃくちゃになり、終わりが近づいてるのを感じる。映像は筆先にフォーカスし、倍速にしたように線はものすごいスピードで進み、めちゃくちゃに紙を一周したところでプツンと夢から覚めた。(2/17)