藤岡弘とマイスターエックハルト

 呆然とマイスター・エックハルトの言葉というのをあれこれ拾い読むうち、いつの間に藤岡弘みたいな気分になっていた。いつだかiydさんが貼っていた「珈琲道」の動画を探し、今一度心を落ち着けて眺めてみる。映像の一時停止と不可解な間、それを破る「はぁっ!」のかけ声。もろもろの思考(時間、過去と未来)、映像を眺める私の気持ち(記憶と期待)が覆い隠していた「現在」のようなもの、新鮮な景色が突然目の前に広がる(ような気になる)。なにがなんかだかワケも分からないまま、私みたいな精神薄弱のクルクルパーをそういう気分にしてしまうところが藤岡弘のすごさだ。そしてこの観客の反応(不安そうな目を泳がせ、またある者は凝視し、それぞれが宙吊りの気持ちでうなづいてみせる)。あの客席には私がいる、というくらいに感情移入してしまう。




「時間が永遠の内へと入るとき、そこで一切の時間が終わりを告げる。
そこには以前も以後もない。
そこにあるものは、すべて現なるものであり、新たなるものである。
かつて生起したものも、これから生起するものも、
あなたはここではひとつの現なる直観の内でつかむのである。
ここには以前も以後もなく、一切が現在である」


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「欲望と理解力の及ばないところに暗黒がある。そこに輝くのが神である」
「人が捨て去ることができる最高にして究極は、神のために神を捨て去るということである」

 などの言葉を眺めながら呆然と心に思い描いたのは(これもiydさんに紹介された)斉藤清六の「ぎんぎらぎんにさりげなく」である。やはり名人が紹介するものはすごいなと思うと同時に、エックハルトさんの言葉もまったく意味は分からないけれど何かしらを喚起する力がものすごい。