農薬のあった棚


 正月実家の庭にて。親に頼まれて、むかし祖父が作った物置の棚をぶっ壊した。祖父が死んでから20数年が経とうとしていて、未だに家に祖父の面影を残すものがあるのだなと思うと同時に、少しづつそういうものもなくなってゆくのだなと感じる。祖父の作った池も、庭木や草や庭石も、おそらく父親の意向で少しずつ切られたり壊されたり散り散りばらばらとなり今は見る影もない。そのことに賛成とか反対とか無関係に、死んだ祖父の年齢をすでに越えた今の父の気持ちを想像してみるが、ただただ及ばない。棚は家の裏の細い通路にしつらえてあったもので、そこには庭の手入れの道具やら子供は触るなと言われていた農薬やら劇薬的なものが置かれていた。私が子供の頃、その裏の通路側の隣家にはほぼ寝たきりのような一人暮らしの老婆が住んでいて、付近の野良猫にエサをやっていて、その猫がうちの庭を荒らすだの糞をするとかで微妙に揉めていたらしい。棚の劇薬は野良猫を駆逐するためのもので、猫が通りそうな塀の上や通路のすみに、その「セイサンカリ」とかいうやつを祖父が撒いていたらしい。そのせいなのか老衰か、ある時一匹の猫が死んで、祖父は通路にあった死体を老婆の家側に投げ込んだ。そうしたら翌日死体がまたうちの敷地の通路にあって、どうも老婆が投げ返したらしい。それでまた祖父が隣に投げ入れて、そのまた翌日投げ返されて、、ということがしばらくあったのを、ぼんやりと覚えている。戦争体験とかのせいなのだろうか、豪快というか無頓着というか、老人ってなんだかすごいんだなと子供心に感じた。アルミ板と角材で出来た棚は朽ちかけているようで案外頑丈で、ヤケクソに金槌を何度も叩き付ける音が夕暮れ空や団地の壁に反響するたび、そういう思い出がぽつぽつと胸に沸いては消えていった。