枯葉と近眼


 昨夜、近所で通り魔事件があって中年の女性が刺されたという。そのせいなのか朝の通りをゆくとパトカーが何台か行き過ぎ、空はつきぬけるような秋晴れである。つめたい壁ぎわの狭い路肩を自転車をこいでゆく。すぐ脇を次々風をきり追い抜いてゆく車に神経質になりながら、通り魔の人の気分を考えていた。秋が終わり冬がはじまろうとしている。街路樹を追い越すたび銀杏がお祭のように輝き、子供が絵具チューブからそのまま塗ったかのような無頓着な空色とせめぎあう際で光暈が砕け散る。静かに眠る冬にむけて、木も花も草も空も最後の色をふりしぼっているかのように見える。そんな季節に通り魔はどんな事情や気分で知らない誰かをどうこうするのだろう。
 森に入ると、頭上も足下も見渡すかぎりの銀杏の紅葉が朝日にかがやく。風にさざめく黄金色のちりめん模様の波に浮かぶ船のようなベンチから、遠くの木々の間にゆらゆらと浮かんでは消えるジョギングの人影を見送る。森にふきこむ風に視界全体の葉が絶えず向きを変え、そのつど乱反射する光線が圧倒的な物量で海馬の短気記憶を更新し洗い流すにまかせ、ひとしきり茫然とする。黒い森を背景に金の吹雪が水平に舞い散り、顔や体にあたる感触と同時に落葉が実体をとりもどす。そうして私の移動の軌跡だけ夢が醒めてゆくが、踏みだす一寸先に夢は止むことなくふりそそぐ。
 夢をみて、それを味わい尽くして、一歩一歩を夢みるように夢から醒めるように歩こうとしても、景色が展開するたび、もっと乱暴で強力な夢に横面をはたかれる。犬が走り赤ん坊は泣き、風に千切れんばかりに鎖と薔薇が揺れ、遠くで太鼓が鳴り響くと枯れた草原を白いドレスの花嫁が渡るすぐ横を屑拾いの爺さんが地平線めがけて歩いていく。てんやわんやなのだけれど、それぞれは粛々と厳然と秋晴の下で営まれる。
 得体の知れない気分で帰宅し壁に上着を架けると背中に小さな血痕があって、それはちょうど乾いた血の色をしたもみじの枯葉だった。通り魔も私みたいな近眼で、なにかを見間違えたのかも知れない。(12/5)