夕暮れの公園でシャボン玉を作る人がいる。まだぼんやりとした明るさがとけ込む物憂い空気を、つめたい風ににじむ街灯の光を、大きな泡が森の夜陰へ絶え間なく運んでいく。それを追いかける子供が黒い木々の間に消えたり現れたりする幻じみた情景を眺める。子供は笑いながら泡に突進し、こわそうとする。
 森の奥の方をまわってぬける。公園の噴水がケバケバしい色の電飾に照らされているのが遠くからでも見えるので、真っ暗な森の中でも方角がよく分かる。あれは灯台のような役目なのだと納得する。
 冷えた目玉と鼓膜で街につく。ネオンや喧騒はみな泡に包まれて夜が降りてくる空の方角に向かって飛んでいく。街ゆく人たちが日曜の夜という泡沫に笑いながら突進しこわそうとする。私も町外れの食堂に突進してチキンカツが載ったカレーを食べる。忘れずに目薬を買って帰るころ、また雨となる。(12/2)

 なにか、ごちゃごちゃしてよく見えない場面が、いくつも矢継ぎ早に展開する。最後の場面となり、急に視界が澄みわたりはっきりと光景が浮かぶ。
 実家かどこか他の懐かしい感じのする部屋。今まで気がつかない場所に棚があって、ごちゃごちゃした荷物の上に漫画雑誌が一冊おいてある。得した気分で広げる。読むのでなく(それが当たりまえのように)開いたページに白紙を載せて絵をトレースしようとする。紙は子供のらくがき帳のような厚さの生地なのでぜんぜん透けない。薄いクッキー缶のような箱に鉛筆がたくさん入っている。ほとんどがHから4Hで、柔らかい芯のものは使い込んだ短いものばかりなので、ちゃんと握ることが出来ない。どうにか小指くらいの長さの2本のBを見つけて取り出す。缶の中に窪みがあって、そこに鉛筆削りがはまっている。それはキャップ式ものくらい小さいサイズのハンドルを回すタイプの鉛筆削りで、今どきはこんなのがあるのかと感心する。取り出した2本の鉛筆はそれなりに芯は尖っているが、芯の先端が紙の肌理を引っ掻くような感じが懐かしく、もっと削って限界まで尖らせてみたくなる。ただそれ以上削ると鉛筆自体が持てない長さになりそうなので、どうしようかと悩む。(12/1)