詩集売りと靴磨き


 下駄箱の靴が黴びそうだから気をつけたほうがいいという話になり、気になって眼の届かない場所から革の半靴を出してみると、つま先の方から毛羽立った緑灰色が点々としていた。すぐに便所紙でごしごしこすってみるとそれは取れたが、まだうっすらとしたシミが残っている。気が進まないが色付きの保革油でシミが分布するあたりから全体を磨く。色付きなのも気に喰わないし、あの靴磨き特有の匂いのしない、携帯に便利なお手軽クリーナーというのがなにより気に喰わない。子供の頃、祖父や父が靴磨きする横で野球グローブにせっせと保革油を塗った記憶はふしぎと鮮やかなままで、それは匂いのせいな気がする。野球はヘタクソで試合も練習も嫌いだった。
 暗い玄関に座り込み靴磨きに没頭していると、学生時代の思い出が前触れなく蘇ってきた。学園祭かなにかの出し物で漫才だか寸劇をする友達。内容は忘れたが、なにかダメな人という設定の相方を罵倒するようなくだりで「この、なんとかなんとか!」「なんとかかんとか!」と次々にダメなものの例を挙げていき最後に「駅前の詩集売り!」と、その一言だけが突然思い出され頭の中で鳴り響いた。(「なんとかかんとか」はどんどんエスカレートしていって、しだいに人間じゃないものになるんだけど、最終的に「駅前の詩集売り」という人類にまた戻るのが可笑しい話だったような気がするが、まったく記憶がおぼつかない。)
 「ずいぶんとひどいことを言うもんだな」と当時も思った記憶があり、そういう乱暴なことをいうときっと皆は面白がったり爽快なんだろうなと、まるでガラス一枚隔てた向こうの自分と関係ない世界の出来事のような気分で友達と観客を眺め、皆の笑顔や笑い声に従うように遅れて、自分もなんとなく笑顔だった気がする。
 そして最後の「駅前の詩集売り」という台詞は「夢日記をつけるやつ」でもほぼ代替できるような気がして、およそ20年前のあの日のビールケースの舞台のうえに、若い友達と今のおっさんの自分が並んで立ち、そのやりとりを見守る皆の笑い声も聴こえてくるようで、靴を磨きながら口元が釣られてまたかすかに緩んだような気がしてふと我にかえる。いま自分は笑ったのか引きつったのか、いったいどんな気持ちだったのか、心の中で何が起きたのか、それは20年前のほほえみと同じなのか違うのか、いろいろ確認しようとするが無意識の一瞬の出来事ですっかり取り逃がしてしまう。油を塗りすぎて黒ずんだ革靴を玄関につま先立ちにかける。それは一晩たってみるとすっかりきれいになっていた。