ひとはだフルーツ


 佐藤さんのことが頭をぐるぐるして寝られなかったり、どうにもならず、とりあえず吐き出そうと長々と作文をする。ああでもないこうでもないと考え込んでいたら今度は具合が悪くなってきた。いったい私は何をしてるんだとろう?と、急に我にかえる。台所で柿を剥いて皿にならべる。それを一個づつ楊枝でさして食べたら気分が落ち着いた。

 私は不器用らしく、包丁を使って果物を素早くきれいに剥くことが出来ない。むかし観た映画やドラマのシーンだとリンゴなんかを丸ごと一個の状態からくるくると螺旋状に剥いていたりするけれど、あれが出来ない。無理をして時間をかければどうにか出来そうだけれど、きっと掌の上で果物が充分な人肌に温められてしまうだろうから不味そうである。
 小振りな果物ナイフを使ってなんとか剥くことができる。果物ナイフというだけあって、たしかに果物を剥くには扱いやすい。ピーラーというのも簡単に剥けるので便利だけれど、それはジャガイモなんかの皮を剥くやつであって、それで果物を剥いていいのは刃物を持てない子供までという感じがして、私みたいな中年くそ野郎が使うのはみっともないし、勝負に負けたという感が否めない。
 長いこと台所の蛍光灯の調子が悪く、ちゃんと正常に点灯することもあれば、半々くらいの割合で1、2秒ごとの明滅をずっとくりかえす。そのような状況下で私みたいなビギナーが果物を剥くのはスリリングである。台所はエマージェンシーの警告灯が点滅する狭い潜水艦艦内さながらの様相を呈し、隣り合わせの恐怖と愉悦、あるいはブラッドorスイーツなタイトロープなのである。
 縄師という言葉に習うなら果物剥きの名人は脱が師とでも呼べばいいのだろうか。年季のはいったブレイドエキスパートならいかなる状況下においても集中力を研ぎすまし指先の感触だけをたよりにコトを成せるのだろうが、こちとら脱がすよりも掌上で人肌に温めるのが得意な素人である。常に目標物の果物と支持体であるところの指先および刃先の位置関係を視認のうえ、安心の三点確保ができていないと刃を進めることができない。蛍光灯の明滅のたびに刃が滞るので、ただでさえ遅いのがさらに膨大な時間のロスとなる。それはまるで甘い汁を滴らせる果実の上でナイフが「ダルマさんが転んだ」をしているような、優雅で趣き深い情景なのだけれど、当たり前のようにするすると剥ける連中は知る由もないだろう。
 なんでいつのまにか果物の皮むきについて熱く語っているのか(しかも下手なのに)わけが分からないので終わります。柿を食べると熱いお茶が飲みたくなる。(11/22)