予行演習


 生まれつきの知り合い(血族)や、生まれたあとにいろんな理由で知り合ったいろんな人たちのことを一人一人思い返し、自分はどのくらい他人と分かり合うようなことが出来ただろう、そもそも自分にとって(或は他人にとって)「分かり合う」ってなんだろうな、というようなことを延々記し、「予行演習」という題名でここに投稿したら、眼がさめて全部夢だった。
 朝の緑道で缶コーヒーを飲んでいると、静かで鳥だけが啼いていて、新聞配達のバイクが赤い光の帯をひいて通り過ぎる。景色は全部すみれ色をしていて、いつかのどこかの朝と同じ気分になって、今ここにいて息をしていることも、缶コーヒーの味も、たばこのけむりも、ぼってりとした遅い花にたわんだ桜の枝も、今(のような感覚)がどんどん遠ざかって消えていく。目前の景色を分解しないで、ただ未分化なすみれ色の塊のように、一枚の絵のように眺め呆然としていると、ここがいつだかどこだか、分からなくなる。