朝のほほえみ

 よあけまえ。例の言葉の小川のほとり。
 万死さんが眼鏡さんの貼った吉幾三の唄に対して「わたしこの曲大っ嫌い!!」というようなことをつぶやいていて、その率直さがなんだかものすごくツボに入ってしまい、迷った挙げ句お気に入り登録してみたんだけど、少し後に削除されてしまっていた。自分も女性に生まれ変わって「わたしこの曲大っ嫌い!!」というようなことが言えたら、さぞ痛快だろうなあ、、などと夢想した。(吉さんのそれは別に大嫌いではないです)
 別件。動物のアイコンの知らない方がいて、ひょっとして○○テ先生という方なのかなあと思った。○○テ先生のことはよく知らないんだけど、大昔に何度かラジオを聴いた気がする。たしか饒舌な感じで下ネタを連発していたような。なぜ名前を覚えているのかというと、やんご先生とお話したとき「○○テ先生」という名前がちょくちょく出てきていた気がするからだ。小川のほうでも饒舌だし下ネタが多いので似ているような気もする(気のせいかもしれない)。そう思ったきっかけは、その動物アイコンの人が「たましゃぶろう」とも読める名前の方になにか声をかけていたからで、そういえば「たましゃぶろう」というすげえ名前の女性DJの方もいたよなーと急に思い出したから。なんとなく生硬な感じのする声と喋り方でしばしば「キン肉マンがどうの」みたいな話を一心不乱にされていて、ずいぶんかわいらしい方だなあと思った記憶が甦ってきた。
 その動物アイコンの人は、下ネタほか呪いの言葉のようなのを四六時中あたりかまわずまき散らかしているような印象で、こういう人が子供を育てているのか(気のせいかもしれない)、すげえなあと思っていた(気のせいかもしれない)。「救急医療現場がどうの」とか書いていて、「○○テ先生」というくらいだからそのスジの方だとすると(気のせいかもしれない)、過酷な勤務のストレスやらプレッシャーから、ああやって呪いの言葉を四六時中まき散らかしてないとやってられないものなのかもなあと、少し考えたりした(あれこれ気のせいかもしれないから、全部気のせいかもしれない)。

 そんなことを考えながら、明け方の街に食事にでかけた。
 停電する食堂で、まだそのことを考えていた。自分も20代半ば頃だったか勤めから帰宅するといつも日記(ブログ)に呪いの言葉を書いていた気がする。部屋に隕石墜ちろとか、会社爆発しろだの。だけども、さらに遡って子供の頃は、やたらと隕石やら核戦争やら原発チェルノブイリ影響)やらに怯えていた。1999年に恐怖の大王が降りてくると本当に思っていた気がする。それがいつのまにか「街に隕石墜ちろ」とか「ミサイル墜ちろ」だとか正反対に念じるようになっていた。いつからそういうふうにまるっきり変わっていってしまったのだろ。。などと牛丼を食いながらボソボソと思っていた。
 それから公園に寄り、煙草を吸いながら朝日をながめた。澄みきった空気にするどく差し込んだあと、暖かく染み渡っていく明るさを眺めながら知らず知らず頬が緩んだ気がしたのだけれど、「みな楽しそうにしているところに水差すのもアレかとなんとなくニヤニヤした微笑を浮かべるうちそういう顔の人になってしまいみな楽しそうにしていようが気に入らねば平気で真顔でいられる気骨ある人からなんでニヤニヤしてんの?という顔をされるたび『こちとら気が小さいんじゃクソ』とまた微笑み返す」*1という自分の笑顔について思い出し、朝日のなかでもそういう微笑みでいるのが嫌な気がしてニヤニヤを戻したつもりの真顔も、まだニヤニヤしていたのかも知れない。

 それから池の凍った水面なんかをしゃがんで撮ったりするうち、寒くて足がしびれた。というか下半身の感覚がまるでなくて、じわじわと戻ってくる血流が、まるで失禁してるような感じ。寒い中で必死になんかしている充実感の中身は自己満足現実逃避で、それはただの凍った池。噴水が定刻どおりに作動しはじめ、水面の薄氷を砕いていく。おまえも早くどっか行けとうながす。
 それから煙草を買いに商店に立ち寄った。いつだかの夕暮れ時、ここでブロス連載のへ先生を読んだな、、と書棚の雑誌を手に取りなんとなくめくると、そこにあいつはいた。へ先生こと金子○民だ。
 今日は「立ち読みするぞ」という決意なしできたので少し面食らったが、気を取り直し、眼の前の再生紙の色に眼を慣らし焦点を合わせ、文字を追った。連載最終回とのこと。「あれから数年経つ間に金子さんは本の一冊でも出すものと思ってましたと再会した編集者に言われ、悔しかった」というのが心に残った。それから「生まれてきたからには、死ぬ以外の方法で楽になりたい」という言い方がなんとなく気になった。最終回なんだしもっと感慨の持ち方はないのかと自分に思ったけれど、相変わらずのそんな感じだった。
 この前と違い、寝ぼけたような顔の化粧っけの無さが妙に色っぽい妙齢の女性店員から煙草を買い、外に出ると少し高くなった朝陽が通りにきらきらしていた。この前の夕暮れとはまた違う気分でやはり呆然とし、この同じ空の下、光の中であの文章のような呼吸をしているであろう、へ先生のひげづらや噛んだ枕のことを思った。