だれかの誕生日

 よふけ。誕生日の人とファミレスでだらだらした。事前には(なぜだか)もっとしんみりするのかなと思っていたけれど、あっけないほど普通でいつもと変わらない感じだった。普通に週末にファミレスでだらだらする人みたいな雰囲気でだらだらして「誕生日おめでとう」「ありがとう」とかいうやりとりを普通に交わし、明け方に帰宅し椅子のうえでそのことを考えていた。人の誕生日ってなんなんだろうな。改めて何がおめでたいのだろう。その人がいてくれること、生まれてきてくれたことに、おめでとう、ありがとう、だということを頭では分かっていても、なかなか気持ちが追いつかないのに、なんせ誕生日だからと口が先に「おめでとう」と言ってしまうのだ。考えてみればワタスは普段から気持ちがおいつかない言葉ばかり慌てて口にしているのだ。ずっと口がすべっている。そういうふうな教育を受けたような気もするし、そうしてないと変な人に見られるような場所でずっとやってきたのだ。「おめでとう」やら「ありがとう」などという気持ちはどこかに置いたまま、いけしゃあしゃあとそういうことを口にしてきた。

 そういえばその人はかつてワタスが自家出版していたiyd日記を喜んで読んでいた人なのだけれど、もしiydさんと会うようなチャンスがあるとしたら会ってみたいか?と訊いてみると「それは会ってみたいけれど、緊張するだろうなー」と自分とまるっきり同じような所感を持っているのがなんだかおかしかった。
 そのiydさんから誰かへの私信にレオコッケの氷の帽子のアルバムの話が出ていて、(もちろんどういう話なのかは分かってないけれども)なぜだか気になった。ワタスもそのアルバムを聴いていた時期があったんだけど、「それが良い」とはっきりと意識してとかではなく、本当にぼんやりとなんとなく(なんだかよく分からないこそ気が置けない感じで)聴いていたものだから、余計なんだか気になった。それにしてもレオコッケのジャケって変なのが多かった気がする。とくにレオコッケが好きなわけではないけれどいくつか気に入ったものを買っていて、氷の帽子のはなぜだか知らないけどよく聴いていた気がする。今はどんなだったかまったく思い出せない。ボーカルがどうのという文面をみて、そういえばそうだったと思い出したくらいいい加減。やはり変なジャケだから印象に残っているんだろうな。

 さきの誕生日の「口がすべる」ということについて寝ながら考えていた。そもそも「話す」ということ自体が口をすべらせているということで、頭の中がいろんな考え、意味、思惑、自己批判やらで高圧高重度状態でもろもろが摩擦しあえば口から言葉は出てこない気がする。エラい人は頭の中の重力を慎重に調整し少しずつ口をすべらせる。ワタスみたいなもんはバカだからただ口にしてみたいという欲求だけで重力を解放しべらべらしゃべりまくる。