未だ知らない孤独のこと


 よる。いつになく空腹が堪え難くじっとしていても胃が暴れて落ち着かないので食事に出かける。こんなときは鶏を揚げたようなやつを蛮食(ドカ喰い)したかったけれど、なんだか空腹で眼が回るので適当に近所で牛丼を食った。人心地ついて缶コーヒーを買い緑道に向かうといつも座る場所にくたびれた感じの若者が先にいて暗がりで何かを読んでいた。若者が去ったあとの気配に重なるようにそこに座ると求人情報の冊子が二つ読み捨てられ夜露に濡れようとするところだった。風にかすかに揺れるその表紙のあたりを眺めるような、かといってピントは彷徨うような格好で、缶コーヒーとたばこを喫んだ。

 いつもどおり、あれこれと切れ切れに考えが浮かんだり消えたりした。ある方が日記に「周りから浮いて馴染めない」と書いていたことを思い出して、たぶんネットうんすんではなく実生活のことだろうからアタスには想像が及ばないのだけれど、そうか、あの方も他人に馴染むことをあたりまえに期待されたりするものなのか、だとか、そうやって人様の孤独のようなものと自分自身の孤独のようなものを比べてみたり、アタスみたいに大根氏みたいな存在や帰る実家があるような者が自分のことをいっちょまえに孤独などと言うのは間違っているとも思うのだけれど、とにかく埒の飽かないことをだらだら考えていた。
 あの方の孤独や、へ先生の孤独やら、ワタスみたいな凡人には決して及びもつかぬであろう、本格的な生来的な孤独というのはどんなものなのか。やはり改めて思うに、あの方がツイッター上でへ先生と交わした言葉のことなどが気になった。それからへ先生が雑誌にコラムを書いたという話を思い出し、いっちょう読んでみようと別に決然とアレするようなことでもないのに心に決めてコンビニに立ち寄った。
 棚から件の雑誌をとりページをめくるとすぐにへ先生の1/4ページ分のコラムが見つかった。まず視線がいくのは「写真家・●●平民」という気持ち大きめの表記。毎日新聞明朝だかエムニュースエムだか、平体がかった新聞っぽい明朝体の本文。数えてないけれど紙幅からいって400〜600wといった感じだろうか。店内はとても明るく音楽が鳴っていてお客もうろうろしている、あたりまえだけれど、いつものモニタ越しに読んでいる感じと全然違う。さらっと読んでもぜんぜん頭に入って来ないんだけど、ワタスは一応決然とここに立ち読みに来たのだからと、意地になって分かるまでくり返し読む。何回か読み返して、ああこれは何回読んでもすっきりするということはなくて、雲を掴むような話ということでいいのかなあと、なんとなく納得したような気分でその場を離れた。8分間ほどだったろうか。
 今こうして椅子の上でじっとしている。最後にランドセルに入っていたメモの言葉がちゃんと思い出せず「ただ流れている川に名前なんているかね」というあの方の言葉がなぜか出てきて立ちふさがる。へ先生のコラムは「自動販売機がお母さんの欠けた歯の間から覗く黒い空洞に見えた」という一節のことばかりがなぜか思い出される。

 帰宅するとオザケンのust配信というのがちょうど終わったところで、胸騒ぎが止んでなんとなくホッとしたような気になった。大貫さんと細野さんの対談のラジオを聴いた。ナウシカの話が出て「安田成美の主題歌がいい曲よね」などと二人して話しているのが和むというか変な感じがするというか、なんだか聴けて良かった。でも映画じゃなくて漫画のほうのナウシカを是非、、などとまるでまっとうなナウシカファンみたいなことも、つい考えてしまった。