逢えばどしゃぶり


 にち。
 夜に約束をしていて、夕方頃に寝て夜に叩き起こされたら気分が最悪だった。いつもはちょっと寝て起こされても静かに速やかに起きれるはずなんだけど、今日はどうも勝手が違った。相手の言葉ぜんぶに無性にイライラして頭にくる。どうにも気持ちがささくれ立っている。言葉の内容というよりか、相手の口調とか声色のせいかなと思ったけど、起きてそのままネットの知らない人のつぶやきの連なりを眺めても、もれなく全部にイライラして頭に来たので、ああなんだワタスがきちがいなだけか、、と反省して椅子のうえでしばらくおとなしくしていたら治った。

 しばらくワサワサして過ごしていたのもあって、自分の作文もワサワサしてるなーと感じた。だいぶんひょうきんな人の日記みたいだなと。人並みにひょうきん者であるし、なにより傍目に滑稽な人であるという自覚もあるけど、自分のいつもの気分というのは、こんなにおどけてないし、全然しょぼくれてるもんだから、自分が書いたやつを読み返すと、なんだこれ?ワサワサしてんなーと大概げんなりしてしまう。もっと落ち着いて、ため息のように作文しないと駄目な気もした。
 ひょうきんなだけなのは、あんまり心に残らない。最初の手触りはひょうきんなんだけど、よくよく考えてみるともの哀しかったりして、矯めつ眇めつ言葉の感触を確かめてみるうち、気がつけばしみじみとしたまま、嗚呼。。なんてため息が出てしまうようなやつがいい。人様のそういう作文やらツイートが好きなんだなと、あるとき思った。
 金はもちろん、思わず我を忘れてしまうようなデカい希望や期待もない。目に映る世界も耳にする言葉も有限なら、今一度自分のポンコツな感受性というやつを見直し、いちいち余韻にひたったり、些細なことの味を確かめてりゃいいじゃねえか。ワタスみたいなくそじじいはよ、などと、時々やけくそに考えてみたりする。

 げつ。
 公園で見知らぬおっさんに写真を頼まれた。渡されたデジカメを構えると、高層ビル群を背景にイカすポーズを次々にキメてくる。「中国の人は写真を撮る時にすごいポーズをとる」とどこかで見たので、もしかして向こうの人かしら?と思いながら、こっちも夢中でシャッターをきった。知らない人を思う存分撮るのは新鮮でとても面白いなあと感じた。
 すぐそばでダンスの練習をする娘たちがいたので、どちらかというとそっちが撮れたなら素敵だったのだけども。。
 秋の清冽な空気に木漏れ陽がするどく差し込み、冷たく青ざめた石畳、風に舞う落ち葉、躍動する娘たちの影、なにもかもを清らかに輝かせていた。娘たちはラジカセから流れる音楽に合わせ、笑いながら弾けるように踊っていた。音楽はよく聴くと徳永英明の「壊れかけのレディオ」だったけど、ぜんぜん壊れてねえじゃねえかとワタスは思った。

 夜。配信情報聴取ソフトが反応した。○○の小さな暗室。。なんじゃこりゃ?と思い、つないでみる。圧倒的な静けさ、空気ノイズの向こうから聴き覚えのある声が。この無音状態が音楽のように聴こえる感覚は、あ○○○師匠を思い出す。いつぶりの配信なのかしら?と掲示板を覗くと、ほぼ一年ぶりだったみたい。どうもアタスの昔の書き込みみたいなのを見かけ、なんだか気持ち悪くなるなど。
 途中で突然配信が切れる。まるで幻みたいだったなあ。。と部屋の無音状態に戻されたけれど、空気ノイズにまみれた、あの小さな暗室の音の方が、なぜか静かに感じられた。