わたしの予定


 ここしばらく、なんやかんやワサワサする。日記みたいなのをゆっくり書こうとする体勢になる前に、適当にツイッターでポロポロしてみて、じゃあまた、という感じ。
 文化の日は特になんもせず、夜に食堂で鶏カツ定食を食っただけ。なんだか知らないけれど、アタスは昔から鶏肉を揚げたやつが好きだ。次こそ他のにしようと思うんだけど、いざ定食屋の席についてみると、ケロっと忘れて「じゃあ鶏カツで」という気分になってしまう。これがワタスがふだん忘れているような「素直な気持ち」というやつなんだろう。よし、今度「あなたの素直な気持ちってなんですか?」と質問されることがあれば「はい。アホみたいにいつも定食屋で鶏カツ定食を頼みたくなる気持ちです」って答えよう。
 それからワタスは祝日の名前というのを一切覚えられない。覚える気が心底ない。本気でどうでもいい。祝日って「むかし、その日にこんなことがあったからちゃんと記念して覚えましょうね」という意味合いで祝日、お休み、ということだと思うんだけれど、全くワタスは逆らってる、全く覚える気がないみたいだ。この前の祭日が「文化の日」というのも、数日後に人聞きで知ったけど「なるほど」などとはぜんぜん思わなかった。文化というか、ぜんぜん鶏カツの日だった。

 ダーイヤ先生という人がいる。(知らない方はブログの左側のタワレコみたいなポンチ絵を押すとダーイヤ先生の日記が読めますのでどうぞ。)
 いろいろあって「ダーイヤ先生とお逢いする」ということを具体的に頭に思い描いてみる。なかなか難しい。それはお世辞でもなんでもなく、ワタスがダーイヤ先生のことを掛け値なしに尊敬、心酔しているからだ。尊敬していると同時に、どんな人なのか未だによく分からない、底が見えない、というのもある。また、どんな人だか分からねえからこそ尊敬し、畏敬の念を抱くのだろう。昔の庶民が、豊作を神様のせいにしたり、疫病を悪魔のせいにしたりして、こりゃたまげた!神通力だべ!!祟りだべ!!と畏敬の念を抱いたように、ダーイヤ先生に対しては、ワタスは普段忘れているような自分自身の非常に素朴な心を思い出す。
 アタスは(皆さんもそうだと思うけど)、だいたい人に初めて逢うとなると、前知識だの予備情報で「相手がだいたいこんな人」と予定をたてて、そういうのを元に心構えみたいなのを作る。悪く言えば打算みたいなやつ。しかしダーイヤ先生だけにはそういう予定がまったくたたない。たいがいの相手は「相手の目線(自分をどう見てくるか)」というのをぼんやりと想像してみることが出来る気がするけど、日頃からダーイヤ先生の文章に触れるなかで、ダーイヤ先生の目線、風景を捉える目の底知れなさを思い知らされているから、自分がどんなふうに見られるのかおっかねえ、こりゃたまげた!神通力だべ!!、ナンマンダブナンマンダブという気持ちがあるのだと思う。率直に言って。

 バンシーさんという人がいる。(この方はいろいろとアレの人なので、アレのままお願いします)
 バンシーさんが日記のほうで、ワタスの予定外にいろいろアレしていただき、いろいろとアレ!?と思うなど。つまりこのようにワタスの予定はぜんぜんあてにならない。じゃあ、その予定はどんな予定だったんだ?と訊かれても、こんな場末のどぶみたいなウェブログと言えども果たしてつまびらかにしてしまってよいものか、、などといろいろとアレがつきまとって難しいので、ソレはまた今度アレしようと思う。。
 化粧の名前のやつをアレしていただいたようなので、「そういえばこんなのもありました」というのも置いておきますね。あとシャンデリアのアレもお持ちということで、なるほど!と思ったワタスは、サボンのアレもここに置いてみることにした。ぱっとはじけて消える泡のアレ、うたかたのアレというのも、考えてみるとなかなかにアレなものだとアレなワタスは思います。




三枚目。「ディープスロート」の減りが明らかに早いのが気になります。それではまた。