かんそうぶん

 ラジオ。とある方が「あの人と話すと、自分が見たくない自分と向き合わされて落ち込む」とか「今でもそれを引きずっている」と話されていて、ああ、あの時は言葉づらだけではなくて、ちゃんと真心で話してくれていたのかなあ、有り難い話だなあと思って聴いた。
 いつでもネットで話せるような関係だけど、誰だっていつ死ぬか分からない、タイミングが合わなければもうこれが最後で二度と話さないかも知れない、二つの人生は二度と交わらないかも知れないという思いがやはりあって(ワタスは今までずっとそんなだったから)、後悔したくないからついつい真正面からアレしてしまう。それにあの方の状況説明が茶飲み話なんてもはや赦さないような雰囲気だったしなあ。
 清らかなようで不純な女性、不純なようで清らかな女性。。だれも不純でいたくてそう振る舞うんじゃなくて、そうしないとその人の居場所では正気でいられないだけで、生まれた時から不純な女性なんかいないんだと思う気持ち。でもそんな性善説じみた考えに則れば、世界中のビッチとビッチという言葉は消滅する。ビッチが消滅すれば聖女も言葉の意味を失い消滅する。
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