すっとこ&どっこい


 iさんの貼られた曲に関して褒め言葉のつもりで「トータルですっとこどっこいな感触」と書いたんだけど、日記のほうで「すっとこどっこい」を引っぱっておられたので、ひょっとしてネガティヴな感じでとられていたらイヤダなあ。。とちょっと心配になりました。なんか盛り沢山なんだけど全然もっさりしなくて、瑞々しくて、風通しがよくて、軽やかで飄々としていて、ぜんぜんエラそうにしていないところがいいなあと。
 すっとこどっこいなものが素敵だと思います。どこか、すっとこどっこいなところがないと贔屓にできないというか。やはりアンドレアスドーラウを聴いて本来の自分を取り戻すというか、頼まれなくともいちいちふりだしに戻る男ですからアタスは。
 しかし、iさんの15歳でシュギーオーティスには驚いた。アタスがまだ母親の宗教通いについていって「ほくほくポテトうめー」とか言ってた頃じゃなかろうか。ワタスの場合、シュギーオーティスはブートっぽい再発アナログで聴いたのが最初だったから、21世紀に入るか入らないかの頃だったと思う。勤め始めた頃かしら。予備知識なしで聴いたんだけど、一発目から「なんかものすごい理想的っつうか、肌に合う!」って感じの第一印象のわりに、その後つねに手近に置いて熱心に聴きまくっていたというワケでもないので、やはりワタスは不真面目なんだと思います。かっこ良すぎたのかなあ、、なんでだろう。。たまらんタイプの内容なんだけれども。
 アタスは「これめちゃくちゃいいわー、大事に聴こう」って最初に思っちゃうと、おれレコード大賞というか、自宅で殿堂入りしちゃうようなところがあって、なるべく我慢して、すげえ聴きたい時に、ここぞという特別な時にだけ聴く!みたいな感じだったんですよね。そんで普段は、わりとまあまあ好きかなーっていうくらいのを、これどんなだったかしら?などとダラダラ聴いていた気がする。そういうレコードの方が何か(自分の気持ち?)に対して気兼ねなくリラックスして聴けたというか。。

 そういえばiさんの日記を読んでいると「すり切れたほど聴いたレコード」みたいな表現がちょくちょく出てくる気がするんだけど、自分にそういうのってなんかあったっけ?と思い出そうしたら、これが存外思いつかなくて、やっぱ自分みたいなもんはよう、、という気持ちになった。iさんみたいにかけっぱなしとか、かけながら寝るとか、絶対に出来ない。レコードを聴く時はほとんどデッキの前に正座して、ジャケやらくるくるまわる溝を見ながら全神経をレコードに集中して聴いていた。こう書くとなんだかずいぶん大層な感じだけど、たんにレコードを聴くことが生活に密着してないというか、ただ一個の単純な聴き方し知らない、ゆとりや余裕のない貧相なレコード生活のように思う。
 自分の視界の外でなんか精密なもんがむき出しでくるくる回っているというのが、まず落ち着かない。別にアタスが見ていようが見ていまいが、そんなの関係なくレコードはくるくる回って勝手に音を出すわけだけど、あの微細な溝を針がなぞって振動して音楽を奏でるというのが、どうにも神秘的というか、心のどこかでアリガタヤアリガタヤと神聖視しちゃってるところがあって、プレーヤ=祭壇に神様がおりている再生中は、聴きながらメシを食うことも出来なかった。咀嚼音で音楽が聴こえないでしょ? そうしてる間にも、レコードは自分の身を削って音を出してると思うと、なんつうか八百万の神様にもうしわけねえ気分になる。それでも、ごく稀に客があったりすると、レコードをかけながら食事したりもするんだけど、やっぱりいつも祭壇の様子が気になってしょうがなかった。






 なんかアタスは秋になると教授の曲が聴きたくなるみたいだ、ということで、またパースペクティヴとかなんやら、15分間くらい再生していた。自分でもちょくちょく聴きたいので、ここに貼って自分で聴きやす。ユーチューブに行くのもめんどくせえので。
左●再演のしっとりしたピアノヴァージョンとかは、なんかちょっと違う。「どうすかイイ曲でしょ、大人っぽいでしょどうすか?」みたいな、ちょっとヤらしいところがあって。やっぱりこの、びょんびょんしたシンセに、この歯抜け声。この空虚な感じが、しんとした秋の空気になじんでたまらない。。
右●「サヨナラ」っつー教授版「スキヤキ」みたいな曲。アタスが坂本龍一のCDを最初に買いに行った当時の最新アルバムがこれだったと思う。多分。買った当時はそうでもなかったんだけど、おっさんになってから妙に好きになってしまい、ことあるたびに聴いたりしていた。それから、ねとらじとかをしていて、ワタスの極端に趣味っぽいショボショボしたレコードとかかけてもアレだし、もっと普遍的というか大勢の人に「ざっくりとイイ曲」だと受け入れてもらえそうな曲ねえべか、、と困った末に選んでかけていたら、どんどん好きになったような気もする。。そんで、拝領したやんごとなき方の声をかぶせて、ジングル風にして「おおスゲー!ラジオみたいじゃん!」とか「出た!教授の歯抜け声とやんごとなき方のフクスマ弁の夢のコラボ!」とか、異様に独りで盛り上がっていた気がする。。端からしたらどう見てもただの変質者だけど、あんときは楽しかったなあ。。
 原曲はつるっとしたハウス調なんですが、このライブ版はなんかベースの人が子供でも生まれたかのような勢いで歓び爆発ではりきっていて、東京チカラめし・チーズのせ焼き牛丼大盛り480円!という感じで、食後の缶コーヒーが余計しみる感じです。



 少し前のワタスの「でかい幼虫の夢」の記録について、二週間ほど前にある方がものすごく好意的に紹介してくださってるのにさっき気づいて、読んでくれていたのか!とびっくりした。つい最近まで全くツイッターを見てなかったので気づかなかった。ありがとうごぜえます。未だに、個人的にツイッターとブログをなんとなく無関係にしておきたい気分なので、あっちで返信したりふぁぼったり反応出来なくてすんません。。それなので、こっちにアレしようと、あれこれ書き始めたんだけど、書き進むにつれ収拾がつかなくなり、何をどうしたいんだよお前は、いやどうもしたくねえよ。。という自分のなかで堂々巡りを始めてしまって、いろいろと酷いので、また次までにアレしたいと思います。