よかぜ


 昼過ぎから大根泥棒氏と出かける。自転車でなんとなくドブ川沿いに走っていった。日が傾くのが早い。折り返すタイミングが見つからず、西日に向かってとにかくだらだら走る。暗くなって道に迷い、不気味な細い路地を入っていった。かつてのドブ川の湿度の気配を残す、暗渠化された路地。蛇行する路地のうねりを、自転車の速度でなぞっていくととても気分がいい。水の運動とか自然法則が生み出す曲線だから、なにか身体に馴染むのだろうか。突然、街灯にうかびあがる幻のような不気味な低層団地に出くわす。写真をとりながら、こういう雰囲気のところは絶対また来たくなるんだけど、だいたい道を忘れて来られなくなるパターンだよねー、みたいな話になるが、けっきょく住所を控えず、あとにしてしまった。街に出て下品なものをたらふく食べて帰投。途中で急激な便意をもよおしパチンコ屋の便所を借りる。うるさい幹線道路より静かな細い路地を走った方が、便意の波をやり過ごせる感じがして不思議だと思った。大きい道はすぐ傍らをびゅんびゅん走る車の方に意識がいってしまい、括約筋に集中できないのかもしれない。いつもの投げ込み寺のわきを通ると、暗がりのベンチでカップルが抱き合っていて、いい風景だなあと感じた。ここも暗渠。かつての水の線を、今は植え込み越しの街灯の緑がかった光が満たし、水槽の底のように浮かび上がらせている。
 道中、沈丁花ではなくて秋はキンモクセイと指摘されたので、帰宅後、もはや誰のためなのかアレなまま、ぼそぼそと修正するなど。
 久しぶりに遠くまで走ったのでだいぶくたびれた。身体がだるくて、後頭部が血流に合わせズキンズキンと痺れて熱い。窓をあけると冷たい風が流れこむ。室温との温度差のせいか、風の輪郭のような感触がある。そして、うっすらと甘い香りがまじっている。暗闇のなかを、風がどこか遠くの花の匂いを運んでくることを思い、陶然としてしまう。自堕落にまかせ眠気に抗う。きれいな音楽のように、匂いはあらわれたり消えたりする。
 たった数時間前の、決死の思いで飛び込んだパチンコ屋の便所がまるで幻のようだ。