土の鈴


 めずらしく午前中からそこいらへんをうろつく。出かけは小雨っぽい曇天だったけど、途中で日が射して蒸し暑い。気がつくとまた朝鮮人の街でものを食っていた。ここの紙のおしぼりは分厚くて気前が良い、などと不景気な会話。休日の朝鮮人街はすごい人出。路地裏、どこかうすぼけた白っぽい幻のような商店で、韓流ブーム関連のグッズが適当に投げ売られる寂寞としたとりとめのない風景をぼんやりと眺める。派出所の前で外国語なまりのオバサンが警官相手にものすごい剣幕でずっとわめき散らしているのを聴きつつ、神社の裏手で缶コーヒーを飲む。

 夜。ボ先生の録音を聴く。メロンソーダさくらんぼのロマンやら昭和っぽい話を熱く語る先生がナイスだった。そういえば、その前の放送で藤子不二雄Aの話が出ていたが、「FはファンタジーのF、AはアナーキーのA」などと力説していた学生時代の友人のことを、ふと思い出した。
 そのあとミュ先生がやっていたので再生。どのくらいぶりだろうか、なつかしい声。変わらない雰囲気に感動する。つうか思えばワタスは、懐かしい声を聴くたびに「おお、変わってない。。」などと、いちいち感動しているんだが、1年や2年じゃ人の話し方なんて変わらないものなのだろうか。どうなんだろうか。
 ともかくミュ先生の低血圧かつ低温燃焼系の声と話のトーンが実にしっくりきた。声も話し方も、どこか虚ろというか、まるでピントのズレた写真のぼやけた光の像のような、独特の美しさをたたえている。やかましくないのに、むしろ消え入りそうな今にも気絶しそうな声なのに、能でも舞うような、低く音楽的な響きをしているのが本当に独特だなあと感じる。なにか、覚醒と失神の瀬戸際をなぞるような、ぎりぎりの低空をひらひら舞い踊るような、古代のシャーマンが打ちふるう神秘的な土鈴のような、不可思議な覚醒感覚をもった声色。(そういえばいつだったかも、ミュ先生について「冷たく澄んだ泉を覗き込むような声」みたいなことを書いたのを、ふと思い出した。相変わらず仰山なこと書いてら、と)
 その後、ボ先生が出てたヤ先生の放送を聴く。これもものすごく久しぶり。そしてやはり変わらない声と話ぶりなのだった。それから、いろいろぼんやりしていてサッカー観逃すなど。




 そういえば大昔、ヤ先生にモーガンジェイムスデュオのあのハイテンションな曲を選曲したのを思い出した。その曲はあげてなかったので、代用つうか似たような感じのエディヘイゼルのこちらを貼ります。あ、これはやんご先生の物まねをする裏日本在住で石川佳純のファンだった某氏(不覚にも名前失念。。)に捧げた曲だった。。あの方、今頃どうされているのかなあ。。元気かな。。
 つうか、古代のシャーマンが打ちふるう神秘的な土鈴のような声の先生にも、何か選曲できないものかと思案中。。