しろねことくろねこ


 いつも「イヤダさんイヤダさん」書いていると「お前は、イヤダさんの何なんだ」と自分に対していい加減アレなので、そこは「ある方」とでもボカして書けばよいのだろうか。今さらそんなことを反省してどうなるという話なのだが。。それに「ある方」なんて書き方も、なんだかいやらしい感じがして、なんとなく嫌だ。。
 もう、どうでもいいか。そのある方(イヤダさん)が「白い方のネコ」と書いていて思い出したんだけど、白い野良ネコと黒い野良ネコは日光の吸収率(反射率?)の関係で、生態がだいぶ違うらしく、黒猫は体温が上がりすぎないように物陰でじっとしていることが多く、白ネコの方が活発で性格も社交的だとか。ネコを好きで撮っているカメラマンみたいな人が、どこかで書いていたのを読んだ気がする。同じネコなのに身体の色で性格や生態まで変わってしまうなんて、なんだか面白いというか、妙なロマンさえ感じてしまった。

 ロマンと言えば、「なぜ大人になると時の流れを早く感じるか」ということについて、jkさんが話していたこと。
 なんとなく自分は「大きな動物でも小さな動物でも一生の鼓動の数は同じ」みたいな話から、大きな動物(大人)は鼓動が遅い→ゆったり動く→相対的に外の時間を早く感じてゆく、みたいな仕組みなのかと思っていた。
 このまえ見かけた「目新しい情報は脳が処理するのに時間がかかるため、歳を重ねて新しい情報が少なくなると、時の経つのが早く感じるようになる」という話も、もっともらしいというか、なるほどなあと思った。*1
 そこにきて、ついこないだjkさんがしていたのが、その時々の年齢を一年という時間の分母にするという話。10歳にとっての一年は1/10という感覚。50歳にとっての一年は1/50という感覚。なんつうか、得体の知れないロマンを感じた。

 また長いので、やんご先生、回転うんちゃらさん、オガーさんの話とかを以下に収納。

 よる。やんごとなき方の放送を拝聴。回転うんちゃらさんの話など。するうちボ先生の放送が始まったので、やんご先生のを録音にしてボ先生のを聴いてると今度はサッカーが始まったので、ボ先生のも録音にしてサッカー観るなど。あれこれ、めまぐるしい。
 やんご先生のは回線不良があったのだろうか、録音が途中で切れていた。ほぼ、回転うんちゃらさんの話だった。回転うんちゃらさんという方は、以前やんご先生がワタスに似ている人として話されていたせいか、強く記憶に残っている。しかしまさか、やんご先生がそこまで入れ込んでおられるとは知らず、なんだか恐縮する。ワタスの放送など全くもってクソ面白くもなんともない雰囲気放送という自覚があったし、面白いところ以外がなんか似ているとか、なにか気を使ってアレしていただいたのだろうか、、などと申し訳なく思う。
 やんご先生の配信中、回転うんちゃらさんの配信を探してちょっと聴いてみる。普通に落ち着いて聴けそうだし、なんだか面白そうな雰囲気に感じたのだけど、どうしてもツイッターの方でのもろもろの脳死テイストな発信が理解しがたいというか、体力を奪われるというか、なんつうか、あの脳みそが溶けて鼻から流れ落ちていくかのような感性や言語感覚のようなものに支えられた配信なのかと思うと、どうしても、なんかワタスにはついていけないのかなあと思えてしまう。
 配信とは別の(関係はしてるんだけど)ツイッターでの発信を気にするのもどうかと思うが、ああいう発信ってどういう目的や意味があるのだろう。無目的や無意味が意味なのだとしたら、ああいう発信ってどんな感情が生むんだろう。先に言葉ありきなのであれば、ああいう発信を飛ばしたり受け取ったりして芽生える感情ってなんなのだろう。まあいろいろ分からないことだらけなんだけど、冷やかし半分なワタスなどよりはるかにツイッターを活用し充実した運用をされているようにお見受けするので、彼らが正しくて熟達したツイッターユーザー、ということなのだろう。
 断っておくけど、これは別に批判とかじゃなく、ワタスが年寄りという話ですよ。皆それぞれが面白いと思ったもんをなんだって聴くべきなのだから。ただ単に、死に損ないの年寄りが聴く前になんかつまずいたーという話です。スンマセン、機会があればちゃんと聴きたいと思います。

 しかしそう考えると、オガーさんが回転なんちゃらさんと配信されていた経緯がワタスには気になってくるのだった。オガーさんはどちらかというとワタス側の感覚の人間だと(完全にワタスの)身勝手に思っていたからだ。好きなアイドルを訊かれ「島崎和歌子」と即答するような、ある種の不器用さというか、時代と折り合えない感じ、へんなクソ真面目さ、無理しないおっさん加減に、ワタスは共感を覚えていた。(あれは素のオガーさんというより、人を笑わそうとする作為だったり、あくまでもオガーさんが演じる「小川直人」という役だったのだろうか。つうか普通の人だったらネタにしか思えないが、実はネタでもなんでもない、何かギリギリの瀬戸際を敢えて選んで歩いていくようなタイトロープが、表現家オガーさんの真骨頂だと勝手に思ってしまっていたのかも知れない。)
 しかし一緒に配信するくらいなのだから、オガーさん的にも回転なんちゃらさんは面白い人、ないしは興味深い人ということなのだろう。そういえばこの前、オガーさんが誰かの「レイシズム云々」の発言をリツイートされていたが、そうなるとワタスが回転なんちゃらさんに対して抱いてしまった脊椎反射的な感情というのも、オガーさん的にはレイシズム云々のアレの範疇に入ってくるのだろうか。いつか機会があれば、その辺のお話を是非伺ってみたいなあと思った。オガーさんの考えるネット上の文化圏、文化層みたいなもの、オガーさんの考えるレイシズムみたいなこと。
 一期一会などと言うと大袈裟というか胡散臭くてアレだが、メモしておかないとワタスはすぐ忘れる。次にいつオガーさんと話す機会があるか分からない。1年後なのかも、10年後なのかもしれないし、なんとなく過ごしていたら、このまま死ぬまで話すことなく生きていくのかも知れない。ワタスがオガーさんが生きてるか分からない。明日死ぬかもしれない。ワタスは人から「長生きしそうですね」などと皮肉を言われるが。(つうか、そんなふうに刹那的に考えて生きてる人間が、まともに質疑応答してもらおうなどというのが、そもそも了見違いなのか。。もし、ワタスがワタスみたいな人に前述のような質問をされたらどうするだろう、ワタスは果たして精一杯のベストを尽くしてちゃんと回答するのだろうか。出来るのだろうか。)
 とにかく、そういう覚悟で質問しないといけないし、機会を大事にしないといけないなと思ったりする。別にオガーさんに限らずなんだけど。