あんたを忘れても、あんたのラジオは忘れない


 久しぶりにグーグル穴なんちゃらを眺めてみる。やはりキーワードってのを押すとワケの分からないサイトばかり出てくる。何となく想像するにここを読んでる人が他に見てるサイトとかなんだろうか。「独りで悩むな」的な人生相談とか、アートだの写真家のサイトとか、ごった煮。見にいっても、当然ここへのリンクとかはないし。。 動物将棋のサイトが出てきて、動物将棋といえばあの方なんだが、もし読まれてるなら、どうもお世話さまです。ここには音楽のことは書いてませんから、もしアレでしたら昔のブログとかmixiとかをご紹介するので、もし興味がおありでしたらDMでもいただければと。そっちにも音楽の話ってほどのアレは出てきませんが、もろもろのレコードの名前とか、写真とかは無駄に出てくると思いますので。。て、すでにご存知でしたらアレですが。。
 それからキャンペーンてのを押すと、おもいくそ別のツイッターの人の名前が出てきた。うーん、こんなことなら、前の会社でちゃんとグーグル穴なんちゃらの使い方を覚えておくべきだった。。

 夜中。オガーさんが配信していたのに気づかず。落ち込みつつタモリ倶楽部のアレ特集。タモさんの「雅楽」という突っ込み。それから一曲だけ、どう聴いても普通に良いのがあってハッとする。アタスは大丈夫だろうか。やんごとなき方の放送はトラブルで中止。身投げ屋さんとたんぽぽワルシャワさんの放送を聴く。ちょうどナ先生について作文していたので、そういう話が出てきて奇遇だった。その後、どしゃぶり。だいぶぼんやりする。

 まえにも書いたけど、近所を走る電車が夜明けだろうがものすごい警笛を鳴らすことがある。すわっ何事か!?と思うんだけど、別段何かあった様子もなく、走り去っていく。何もないなら鳴らすなと思うし、鳴らしたところで何かを回避出来るのか?というような猛スピードで走り去っていく。ふざけるなと思う。一瞬だけど、そのまま脱線してどこかに突っ込んで爆発しろと思う。なんならここに突っ込んでアタスごと爆発しろと思う。もうここに住んで10年近くになるが、そうやって人の心は荒んでいくのかなって少し思う。
 騒音と言えばナ先生の配信を思い出す。屋外の車やら暴走族やら花火の音にぶつぶつ文句を言いながらの放送が忘れられない。そう言えば、立地にくわえて築ウン十年の過酷な住環境のことをよく話されていた。ナ先生の心の荒みや愚痴、ニヒリズムも、そういった住環境に関係あるのかしら。





 忘れられない放送。というか、ふと思い出す放送中のワンシーンについて考えていた。なんのきっかけもなく脳裏に蘇る放送中のワンシーンが、アタスにはいくかある。つれづれと思いめぐらす。
 アタスの場合、大笑いしたとか、なにか決定的に面白かったとか、すごかったという放送よりも、もっと何気ない、なんてことのないワンシーンばかりが、なぜかふと思い出される。それって、なんなんだろうなと思う。
 ナ先生の、騒音問題と戦いながらの愚痴放送もそうだし、○ワタ先生の、カーペンターズのいい曲をかけてるんだけど殺伐としていた放送。○ワタ先生が「カーペンターズ、いいよね」とか喋ってるんだけど、スレではなぜか、死ねとかカスとかいう暴言が飛び交っていて、○ワタ先生が「どうすんだこれ」という何とも言えない感じで喋り続けていた、あのシーンが未だに脳裏にこびりついて離れない。。あんな気分で聴くカーペンターズは初めてだし、まさに空前絶後の体験だった。
 ああああ師匠のポエムの朗読。「ブチって切りますからね」。寸止めさんのワケの分からない即興の唄に静まりかえるスレに延々「ジョンレノンいいよね」の謎の連投。。

 歳をとると、生きてて出会うどんなシーンがその先、自分の記憶に残っていくのか、だんだんとなんとなく予想がついてくるという実感がある。ワケの分からない些細で何気ないシーンが、記憶の引き出しの奥の方にガラクタのように収まっていく。
 たとえば、ナ先生がこのまま配信することなく、ブログを更新もやめたとしよう(ナ先生という人がアタスの知らないどこかで死んだ、という仮定でもいい)。そしてこのまま、自分もナ先生と一切関わることなく、ナ先生という人のことを忘れて生きていくとしても、あの時、パソコンのしょぼいスピーカーから流れてきた、突然の暴走族の音、遠くの花火の音、ぶつぶつ呟いていた悪態、あの雰囲気は、十年後二十年後、もっと先まで覚えてる気がする。覚えているというか、ふとした折々にきっと思い出されるんだろうなという、変な予感がある。

 。。という話なんですけど。どうでしょう。自分ではちょっと感動的じゃないですか?という話のつもりなんですが、「人のことを勝手に殺すなこの野郎」とか思われてるだろうか。。今のアタスがまさに「カーペンターズをかけてるつもりが、まわりは死ねとかカス状態」なんだろうか。。

 暇つぶしだろうが、出会い厨だろうが、どんな動機だろうが、ねとらじをするのはモノを作るってことで、誰かの心に残ったり、ヘタすればアタスみたいな変な人の潜在的な記憶に残り、向こう何十年にわたりそのつど再生されたりするのかも知れない。今この瞬間、ねとらじしてるあなたが突然死んでも、あなたのことを知らないどこかの誰かが、あなたの放送のワンシーンをどこかでふと思い出してるかもしれない。「人の心に生き続ける」とか大袈裟なアレは言いたくない。電気の向こうで喋ってる奴がどんな奴かなんていちいち知らない。でも、あんたは死んで忘れ去られても、あんたのいつかのラジオは誰かの心に住み続けるのかも知れない。。
 。。ああ、なんか書いていてアタスは金八かという気分になってきましたが、説教臭くてイヤですね。むしろアタスは説教される側の人間ですし。説教だとかそういう類いのアレではなくて、そういうふうに考えてみても、なんか面白いですよね、という話でした。。



 追伸。

 ひさしぶりに、今はずいぶん有名人になってしまった学生時代の友人のブログを読んでいた。女未にインタヴューする記事のコメント欄に「○こちん」という名前を見かけたんだけど、まさかナ先生じゃないよね、たまたまだよねえ。。○こちんなんてどこにでもあるあだ名だけど、いろいろ偶然が重なるのでつい疑ってしまった。
 ツイッターからのお客さんは多部未華子newsからだと判明。自覚はあるけど我ながら鈍感つうか愚鈍つうか。。多部未華子ファンにご覧いただけるなんてとても光栄です。吉高由里子参入が話題の最中ここは一発多部newsでもフォローして気骨をみせてみようかしら。。 そういえば、前にpixivであれこれしていた頃、やたらと多部未華子というタグをつけて投稿し皆様に迷惑をかけていた。右の画像は人様の手による多部未華子消しゴムはんこ*1 pixivでもあれこれ田部のイラストを見たけど、特殊な方向性で心酔している自分としてはどれもしっくりこなかった。でもこの消しゴムはんこにはやられたなあ。。なんだか死角から頭をぶん殴られた感じで、ガツンときた。ちなみに自分の多部イラストは、当時は似せて描いてたつもりが、いま改めて見返すとどれも恐ろしいほどに似ていなくて愕然とした。まあ心意気としての多部というか、インスパイアードby多部というか、描くモチベーションとしての多部、、ということでどうかご容赦願いたい。。