くーちゃんのワカメと、マリー・ラフォレのオカヒジキ


 午后から散歩。道中、水面に映る黒い影、わかめ〜♪がしきりに脳内ループする。曇り空に口ずさむ。*1 以前はしんみりしていた場所が、だいぶ様変わりしていてがっかりする。川沿いに日暮れまでうろつき、品のないものを食って帰投。夜の寺で缶コーヒー。帰りに雨が降りだし、帰宅後大雨となる。あぶなかった。

 夜中。やんごとなき方の放送を拝聴。童貞の身投げやさんとセックスしようと思うが、身投げやさんだって誰でも良いというワケではない、というお話。この件については身投げ屋さんのリアクションが是非とも気になるので次の配信は聴き逃せないと思う。(身投げ屋さんといえば、この前のおでん相談室で「妄想日記」について触れていた。なんとなく心当たりがあったので、妄想じゃなくて、てっきり現実のやりとりだと思ってたんだけど、、あくまでも妄想とのこと。うーむ。)


 そうこうするうち、某タさんの配信が始まる。れんこん部にゾ先生が出演とのことで、ボ先生のは録音してゾ先生を聴いてみる。
 新作のカバーアルバムをそれぞれの原曲と聴き比べ、解説するというもの。とても面白かった。DJも楽しかったけど、ゾ先生のような音楽家が普通に喋ってるのを聴くだけでも、すごく面白くてなんだか有意義に感じる。さだまさしの歌い方が云々。
 小椋佳バージョンの夢芝居を再生しながら「稽古不足を幕は待たない、恋はいつでも初舞台」などと唄うゾ先生を想像してみる。ちょっとそれも似合うように錯覚する。あの野心的で不可解(褒め言葉)な編曲で夢芝居を脳内再生しようと(無茶)する。
 アタスぐらいの情報化社会からの脱落者になってくると、未だに「和モノ」とかいう言い方を聴くたび、居心地の悪さを感じるんだけど、ゾ先生も大昔にそんなふうなことを言っていたような気がする。ゾ先生の「国産ポピュラー」って言い方は確かにしっくりくるし「国ポ」はかわいいからどんどん言いたくなる。放送中、話の流れに棹ささないよう一応小さい声で「和モノ」とおっしゃっていたのが心に残る。
 「和モノ」で思い出したけど、DJっぽいことをする音楽配信のコメント欄の「流れ」って言葉の氾濫もどうにもアレ。「なんとかからなんとかの流れがたまらん」だとか。うまく言えないんだけど、某掲示板とかで「なんとかはオワコン」とか嬉々として書き込んでる人たちと同じ臭いを感じる。でも確かに、これはすげえなあ、、と感動してしまった時は「この流れ」と書くしかないんだよな。。なんかもっと気軽に使える便利な言葉はないものか。

 その後、ボ先生の録音を拝聴。いつになく苛烈な勢いで麦茶の話など。アタスは積極的に飲まないなあ麦茶。勝手に冷蔵庫に入ってるなら、ゴクゴク飲むだろうけど。烏龍茶、ほうじ茶、麦茶、という順番かしら。なんとなく似てる茶色いお茶なら。味というか薫りが違うのは分かるけど、ほとんど似たようなもんなのに無意識に序列を作ってしまうのは、子供の頃にやたら飲まされたせいだと思う。。

 そういえばケントさんという方にフォローしていただいたのだが、つぶやき非公開とのことでフォロー返せず残念、そういえばねとらじに何人かケントさんという方がいた気がする。一時好きで聴いていた裏日本(富山か石川だったか)の妙齢の女性DJでケントさんという方がいた。ちょっと室井滋みたいな感じの、普通のことを喋ってるのに妙にコクのある空気感がナイスだった。室井滋に似てるっていうのは人違いかも知れない。もう二年くらい前だと思うから。。あのケントさんはもう配信されてないのかなあ。。
 それから静岡のさっちゃさんとか、、今はどうされてるだろうな。。