「土は死体」と言う人が「水を買う」話を読んで


 上京した親と食事するなど。ここ数日ぐずついた天気。寒かったりする。ビルの谷間の池に通行人の影が何度も映り、枯れかけた黄色い花が寒々しく風に吹かれていた。
 今朝もまたずいぶん冷える。換気のために細く開けた窓から冷気が流れてくる。外は白っぽい雰囲気。

 ツイッターのつぶやき、タンブラーの引用文やら、流れてくるものを眺めては、だいたい無気力なまま過ごしては寝てしまう。そのつど、これを備忘しておきたいとか、思ったことを書いておきたいとか、思ってみても、最終的には、なんだかまあ、どっちでもいいや、、という気分。
 つぶやこうと思っても、考えたのち、まあ、どっちでもいいか、とか、これをここで表明してみたところで俺はどうしたいのか、だとか、わざわざいちいち反省するするのも不経済、不衛生な逡巡ののちに断念するなど。そうかと思えば、別に好きでも嫌いでもないけど、なんとなくただ発音してみたいような音楽家の名前を川柳やら短歌に込めて詠んでみる。そうしてみると、いったいどんな気分になるだろう、とか、画面に映された変な歌(のようなもの)がどんなふうに見えるか、とか、見てどんな気分になるか、とか、ただ確認してみたいだけ、というような理由で。
 特にインダストリアル系のやつは、エサ箱とか100円コーナーで見向きもされずに朽ちてゆく中古音楽ソフトの虚しさや詫びた趣きを、自分の暮らしに重ねて詠めないものか、と目論んでみたのだけれど、、やっぱりヘタクソなので、いまいち伝わってないっぽい気がする。。

 おでん相談室、某タさんのラジオ、それからナ先生の録音したやつ(まだ聴いてなかった部分)など聴く。そういえば近頃は、昔のようにレスしながら聴くということを全然しなくなった。なんか作業してたり、ちょうど食事してたり、録音してあとで聴いたり、というのもあるんだけど。手放しで普通のラジオみたいにぼんやりしたりなんか考え事をしながら聴いてる。それでも面白かったり、なんとなく楽しいような気分で聴いている。 。。昔と違って、レスが無かろうが困らないような放送しか聴いてないというのもある。。惰性半分なのか。
 「もう一生童貞でいいから最後死ぬ間際には誰かに手をつないでいてもらいたい。」「いま、ゆっくりと丁寧に気持ち悪いこと言いましたね。」というやりとりとか、「おれの遺骨でハンカチ落しをしてほしい。」だとか、メモしてみる。



 「ガーデニングで土をいじっていると、土というものは、要するに『死体』なのだと実感する瞬間があるけど、それは決して嫌な認識ではなかった。植物か、動物か、とにかく何かが死んで、土になった。土は、死なのだ。そして死が土ならば、死ぬことは、それほど悪いことではない。」という言葉を見かける。
 なんとなく気になって、ソースのブログを読んでみるなど。文章の調子なのか、流れてる気分や感情みたいなものなのか、なんとなくイヤダさんの作文に似たものを感じ、おお、これは、、と思いつつ、どんどん遡って読んでみる。自分はもう何年も「イヤダさんの作文みたいなのが読めるブログ的なもの」をずっと探しているんだけど、そういうものを見つけた試しがない。むかし、イヤダさんが好きで読んでいると紹介されていたブログも、読んでみて得られるフィーリングは、イヤダさんの作文のそれとは、どこか違っていた。ちょっと洒落ていたり高級感のあるようなことを書いていても平気でいられる図太い感じがダメだったかもしれない。いや、もう記憶が曖昧だから勘違いしてるかも知れない。。
 いずれにせよ、アタスにはアタスの読みたい作文があって、イヤダさんにはイヤダさんの読みたいような作文があるのだ。勝手な期待はあっても、違っていて当然の話だ。
 もともと、イヤダさんを知ったのはmixiの音楽コミュなので、似たような音楽のことを扱っているブログもあれこれ見てきたけど、、イヤダさんの作文的なブログに出逢うことは出来なかった。
 それで、「土は死体」のブログをどんどん読んでみたんだけど、途中からやっぱりイヤダさんの作文を読んでるような気分とは、かけ離れてしまった。最終的に「エビヤンだかコントレックスが売ってなかったから、なんちゃらとかいう水を買って」みたいな一節で、「なんだこの気色悪い野郎は」とアタスの(勝手な)期待はもろくも打ち砕かれた。
 なんだか知らないけれど、昔からアタスは「水を買う」という行為がどうしてもすっきりと受け入れられないのだ。理由はわからない。「人間なんかちょっと腐った水を飲みながらちょっと腹を壊したぐらいで生きてりゃいいじゃねえか」とでも思ってるのか、もうなにか生理的なアレなんだろう。別に水を買う人を批判しているわけじゃない。そんな人いっぱいいる。「水を買う」ということをわざわざ作文する人も大勢いる。人は人、アタスはアタスで、いつもは全然気にせずニコニコしている。「土は死体」の人は、通院してどうのこうのとか、雨を見てどうのこうの、土を触ってどうのこうのなどという作文で、こっちをイヤダさんの作文を読んでいるような気分にさせておいて、そこにきて「エビヤンだかコントレックス」みたいなことをぬかしやがったので、気分が悪くなっただけなのだ。
 すみません、いつにも増して「頭のおかしい人のふりをして、笑ってもらおう」みたいな作文になってしまいました。。適当に流してください。
 それでは、また。