やさしさ


 なにやら画期的な空模様だった。風がふいて分厚い雲が千切れては重なり、目まぐるしい。
 「画期的な空の色」って、なんか聴いたことがあるなと少し考えたら井上陽水だった。うまいこと言うなあと思うと同時に、恥ずかしくなったので言い換えたいんだけど、他にうまく言いあらわせない。劇的でダイナミックで不穏な、鈍色や銀色の、ハリボテのように遠近感のない、子供が気まぐれに絵具を塗りたくったような、野蛮な、、、と、いくら言葉を重ねてみてもしっくりと来ない。やはり一言で言って「画期的な空色」ということだった。

 うろついていて、なんだか気になったつぶやき。



「優しさとは、想像力だ」と何処かで読んだ覚えがあります。確かに優しさはどんなパターンでも凡庸に使えるというようなテンプレートはないかも知れませんね。想像力はすべての源で、優しいやつはだいたい変態ですね。

http://twitter.com/#!/bll_dn/status/70668262060474368



 「優しさ」ってなんだか難しいな、と思う。いったい何が「優しさ」なんだか、考えれば考えるほどに分からない。たとえば、死ぬ間際になって振り返って初めて、ああ、あの時のアレは人の優しさだったんだなあ、などと気づくことなのかも知れないし、そんなふうに呑気に考えてるアタスみたいなもんは死んでも分からないことなのかも知れない。そこにきて「優しいやつはだいたい変態ですね。」ですよ。なんだかハッとさせられたというか。
 もちろん、変態がみんな優しいとかいう極端なアレではなくて、育ち(環境、情操的な?)やら人生経験?、その時々の物理的、心理的状況やらなんやら、いろんな条件、要素が人の優しさに影響するんだろうけれど、仮に、変態かノーマルかということ以外全部同じ条件の二人の人間がいたとしたら、変態の方が優しいんじゃないか、みたいなことを言ってると思うんですね。 。。言ってるというか、試しにそのように仮定してみることで、見えてきたり、気づかされるようなことがありそう、ということなのかなあ。

 人の想像力が優しさにつながる、ということで思い出したのが、ちょうどこの前の源一郎さんの子育てに関する「弱い人と付きあうと、ふだんは眠っている想像力を使うことになる。それによって、自分の中にある可能性が引き出される」という言葉なんだけど。これは「人に優しくするということは、自然と想像力をつかう」という、順序は逆だけど近い感じのことを言ってる気もする。

 なんで急に優しさが云々とか考え出したのか、自分でもよく分からないのですが、なんつうか気になったので備忘。
 そもそも、優しさを量で考えたり比較しようということ自体がアレなのかも知れませんが、人と接していて(直接じゃなくても、ラジオでもつぶやきでも、音楽でも絵でも)「この人は優しいなあ」とか「普通だなあ」とか「優しくないなあ」とか、感じてしまう自分がいる。一体それはなんなんだ、ということですね。。


 先の源ちゃんの言葉を備忘したのは、自分が震災やら放射能関連の話題を考える場合、そもそも自分の大切なものとか守るべきものってなんなんだ、という出発点でつまずくので、たとえば子供がいる人はどんなふうに考えているんだろうということが気になって、アレしたもの。優しさ云々は考えてませんでした。