土曜日の北上


 午后からうろつく。昨日まで、今日はうろつくつもりだったんだけど、変な時間に寝て起きて、そしてまた、寝て起きて、いざというときに眠くなってしまい、、ああ〜めんどくせえからやめるか、と思ったんだけど、また真夜中に独りで後悔しそうだったので、やっぱり、うろついてみることにする。
 場末の方とかで呆然としてみたい欲求も、もうそんなにないのだけれども。大根泥棒氏がカメラを買って、それであーだこーだ撮りはじめた。同じ場所を撮っても、(あたりまえだけど)ワタスとはぜんぜん違う感じに撮るので、そういうのを見たり、あーだこーだ言ったりするのが、ちょっと面白い先週だったので、今週も、そんな感じの一日になったらいいな、という漠然とした気分で。
 なんとなく、北上してみる。けっこう長い時間、自転車を漕いでいかないと、好きな感じの空気感がアレしてこないので、骨が折れる。坂も多い。途中で何度も、あー疲れた、、などと、引き返して適当なところでダラダラして帰りたくなるも、それでも一応、惰性のように、ダラダラと北上していく。
 曇ってくる。相変わらずシャッターの半押しがきかず、いらいらする。腹もへる。揉めたりしつつ、それでも北上する。へ先生みたいな人が路上で寝ていた。寝やすそうな、開けていたり奥まったスペースでもなく、本当に何でもない路上(歩道)に唐突に寝ていた。何やら普通じゃない感じ。通りすぎ、しばらく行ったところで、大根泥棒氏が「あれ、絶対へ先生だよね」などと力強くくり返すので、そう言われるとつい気になって、引き返してわざわざ見に行ってみたり。何をしていたんだろう。寝袋みたいなのの中から自分(路上で寝る人)を観察していく通行人を観察しかえしていたのかな。「見る人は見られる」みたいなことをアレした写真でも撮っていたのかしら。あわよくば写真を撮るつもりが、逆に撮られたりしていたのだろうか。
 あれこれうろついて、日が落ちて、久しぶりに好きなつけ麺屋でどか食いして、引き返す。いつもと同じ道。まっすぐで走りやすい、赤い街灯がずっと続く道路のわきを、長いあいだ夜風を切って突っ走る。ひんやりしている。そう言えば、むかしはどんな気分でこの道を走って帰ったっけなあと、考えながら。なぜか、猛烈に寒い季節の思い出ばかりが蘇ってくる道だった。公園で缶コーヒーで侘しい気分にとどめをさす。明るい月に照らされた、水槽の底のような、緑色に浮かび上がる広場で、子供が叫んだり飛び跳ねたりしていた。しげみの方では、中国の若者が話をしていた。

 イヤダさんの「ハムのひと」を眺める。むかし、学生のころ、授業でこういうことをした覚えがある。「なんちゃら視覚情報のなんちゃら還元なんちゃら」みたいな、仰々しいような名前がついていたけれど、すっかり忘れてしまった。街にある言葉(広告とか落書きとか、なんでも)を採集してきて、それらを再構成した作文で、手描きレタリングの看板を作り、街に設置。道ゆく人の反応を、写真におさめるという実技内容。やっていた当時も、わりとはっきりと「なんなんだこれは」という気持ちはあったけれど、時を経て今の自分の境遇から、改めて「なんなんだこれは」と、強く深く感じる。なんなんだこれは。なんなんだおれは。
 ヒタリー、ムタンチスなどといえば、やはり学生の頃、音響派だとかそういう風向きの人が紹介していて、手に取って聴いてみたら面白かった(面白がった)という思い出がある。その頃はボサやらミナスやら全然知らなかったけど、ブラジルのニューロックみたいのは、なんかひっかかった気がする。トンゼーとかカエターノの白いやつとか。。いつかまた、面白がったり、面白がるじゃない別の気分で良いと思ったり、するのかなあ。。どうなのでやんしょ。

 「ぼくらはしあわせになれたのに」という言葉も、むかしからイヤダさんの作文に出てくる気がする。誰に向いた言葉かは分からない、一緒に蛇を見にいった友人へかもしれない、イヤダさんの作文を見たすべての人へかもしれない、それとも、誰にも向いていない言葉なのかもしれない。「ぼくら」ってなんだろうな、と考える。そういえば「ぼくら」ということ(見方、視点、単位)を強く意識して、自分は何かの物事を考えたことがあったのだろうか、などと、しばらく振り返ってみる。
 改めて考えてみると、どうも、曖昧な気がしてくる。まあ、でも、改まって考えれば、自分はだいたいなんでも曖昧で分からない。だいたいいつも何も考えていない。「ぼくら」ということも、「しあわせ」ということも、分からない。実感がない。分かる気配がない。「ぼくひとり」「ふしあわせ」ということを、想像以上に、もっと深刻に、避けようのない厳然たる事実として、もっと深く感じなければ、やはり、分からないことなのだろうか。。

 夜中。某タさんが凸ってるの途中から聴くなど。ねとらじの話のとこから、某タさんと名前の分からない人(真面目に喋ってる感じの人。なにかの社長の人?)の話が急に面白く聴けた。ただ自分がずっと離れていたせいで今のねとらじの状況が分からないから面白く聴けたのか、それとも、やはり好きな話をする人の独特の情熱や集中力にアレされたのかは、はっきりしない。。