小学校の国語みたいな夜


 しっけがゴイス。
 帰り道。夕暮れのビル街を抜け、公園の暗がりで野宿者といっしょに遠くにじむ街の灯を呆然と眺め、煙草をすう。雨が降ったりやんだり。じっとしていると、車の音、遠くの喧噪、木立のざわめき。紫色、群青色、みんな雨にとけて流れてしまい、そこに倒れそうな心だけが残る。あてどもない思いが浮かんでは消え、たださめざめとした気分で帰宅。
 メールを返す。またなにか人様の善意のようなものをアレしてしまっていないか。少し気になり、やるせない。。どうにかしたいけれど、どうにもならん。もう少し考えてから返事すべきだっただろうか、でも返事が遅れると余計迷惑かかるよな。。
 ぼやけた窓辺の、今日一日の湿度と、やるせない気分の折り重なりを眺めつつ、、胸焼け覚悟でドリアをどか喰い。とにかく、かなしい気分ごと。そういう勢いで。
 うつろな心の埋め草に買ってみたりすることもあったけれど、虫声はたぶん苦手。。でもああいうのを聴き続けられる人は、ちょっとやそっとじゃ集中力やものを考える意思のようなものがブレない、強靭なアレを持っているのかしら。すごい勢いでものを考えたり、そうかと思うとすごい勢いで考えるのを辞めたり、情緒的でいたり情緒を切り離したり、、そういう心のスイッチみたいなのを自在にon/offできるのかな。。そう考えると、僕はとにかく何事もダラダラしてるな。
 いや、初めからあると思うな情緒と内面(近代以降の発見)という話をこの前、Bさんと話したばかりだけど。。今日みたいな日はとにかく何もかもやるせない割り切れないものが「情緒」という便利な言葉に向かって突撃してゆく。。祈りたい気持ちの時だけ神様がいるように、逃げ込みたい気分がある時だけ、心が小学校の国語の時間にもどってゆく。。

 またイヤダさんの作文にお目にかかり、少し何かがほぐれ、持ち直したような気分になる。。僕にとっての「シノラーの2ndをわざわざパネルにしたお盆のようなもの」を探す。心に思い描く。

 夜半。やんごとなき方、Bさんと少し話す。「昔の配信でパテーオースチン云々」だとかの話から、およそ二年ぶりに引っぱり出した録音の自分の声を聴いて気分が悪くなる。。そして、ものすごいタイミングでおでん相談室開始。なんだか昔みたいな気分が甦って、じわりとする。丁度やってたれんこん部を聴きながらおでん談義、拝聴。ぼんやり聴いていたら、やんごとなき方が凸ってきてびっくり。俄然独りで盛り上がる。凸終了後の浜田さんの不元気が気になる。やんごとなき方との絡みが個人的にアレだったとかだろうか。それとももともと疲れていたのかな。凸前のムードを思い出そうとするも、れんこん部をBGMにしてたから、ちょっと印象がおぼつかない。。うまく思い出せない。。




 「じゃあブログの方で。チェックしてますから」などとアレしていただいたので、こっちに貼ってみます。本当は大将と虚無的でかわいらしい音楽をかけまくるラジオをやる時のためにアレしておきたかったのだけど、どうなるか分からないし。
 映像(演出)と曲のキラキラ感(空虚さ)が愛おしい。。このメロディの周りに漂う得体の知れない妙な優しさはなんなんだろう。こういう曲で「メロディの優しさが」なんて書いてるのもアレだけど。。なんちゅうか、こういう時代の空気感なのでしょうね。 あ〜、配電盤?に指をさしてビリビリしてるブレイクダンスの男に浜田さんを勝手に重ね、「やっぱり、浜田さんはねとらじ界のドニー・イェンですよね!」とか愛のままにわがままに一方的なコメントしたかったなあ。。 (今になって思えば)こういうキラメキ感をまとっていた頃の浜田さんの復帰を祈って。。
 。。左側の気品漂うかわいいおぜうさんは、やんごとなき方に似てるなあ。。やんごとなき方が「あなたの心の空中ブランコ」なら、浜田さんは「あなたの心の空中ブラコン」ですよね。。心意気として。。
 それにしても、ワタクスの日記なんて、読んでもどんどん不景気な気分になるだけですから、どうか適当にアレしてくださいませ。。未だに、どういう方が読まれているのか本当に謎です。。
 。。。次こそは、、もっと静かに考えて、、書きます。。。