畢竟、勝OR


 真夜中。大根泥棒氏が「いま、誰かがドアをノックした」などと突然怖いことを言いだす。覗き窓から外を覗く。暗い廊下。ひと気はない。突然下からガバッと人が出てきて、覗き窓越しにアイスピックのようなもので眼をグサッとやられる妄想が頭をよぎり、怖くなる。怖いんだけど気になって、なぜか覗き窓から眼を離せない。
 どうも気分がくさくさする一日。そんな時に限ってまたツイッターばかりアレして、あとになって見て嫌気がさしたり。独りでなにやってんだおれは、という。クソタレな気分蹴とばしたくて髪を切るどこぞの人みたいに、バスルームでひとりきり大暴れですよ、この歳にして、どうにもならん。

 昨夜、れこぶ聴きながらBさんと談話してる最中、なぜか椅子ごと横転してとっさに突いた手がグギってなって、なんかねん挫ふうになった。独りで部屋にいるのに怪我するってなんですかね。老人の気分ってこんななのかな。もはや、どこに安住のアレはあんだよっていう。バスルームでもどこでもひとりきり大暴れ。
 真夜中。イヤダさんの作文を読んで元気が出るなど。人様の作文を読んで元気が出るとか、ましてやイヤダさんの作文に対して今までにそんなふうに書いた覚えはないのだけれど、なんだか今日はそういう感じだった。そういえばラフィさんて歌のおじさんみたいな人なんですね。子供の絵のジャケのレコードが何枚かウチにあるんですが、子供向けっていうか、なんだか軽快な曲があれこれ入ってたような。。

 書き忘れていたことだけど、そういえばオガーさんは謙虚だなあと思う。自分のライブの宣伝をあまりしたがらない。ツイッターなんかであっさりと申し訳程度にアレするだけで、ラジオとかでライブ告知を促されるとだいたい「いや、いいっすよ」みたいにされていた。スカイプで会談したときも、「おれのライブはそんなに人に聴いてもらうようなアレじゃないですから」みたいな感じのことを軽くおっしゃっていた。これは「照れ」というアレで片付けていい問題なのか。働いて出来た余剰時間に心血とお金と時間その他のアレを削って作った成果物に対して「そんなに聴いてもらうようなアレじゃないですから」などと言ってしまう気持ち。簡単に想像出来ないし、簡単に「想像出来る」とか言っちゃいけないよな、、と思ってしまう。なにか計り知れないアレを感じてしまう。普通なら告知しまくってなるべく多くの人に聴いてもらって「成功」は大袈裟にしても、今後よりよい方向へ展開するような人との出会いなんかを必死に求めるもの、と考えてしまうけれど、、なんか、そういうのとは違うんだろうな。。好きなことして楽しければとりあえずいいじゃん、みたいな達観というか自然体なのかな。。すごいなと思う。






 で、オガーさんから話はぜんぜん変わるんですが、勝新太郎の歌謡AOR
 この前見たらお気に入りが80件とかで噴いた。まあ勝新だし、物好きっぽい人がやはりアレしてるのかしらと思ったけど、注目度(くり返し再生される率、らしい)というのが高いのと、へんな歌謡AORとかは聴かないような、ちゃんとした感じの洋楽AORファン(へんな表現だけど、、真面目な感じの方)が何人かお気に入りにしているのを見かけて、へえ、、と思ってしまった。たしかこのアルバムは「浮遊の夏」という曲がダブ歌謡だとかでそのスジの方にアレなんて話は昔から聞いていたけど、初めて聴いた当時から、自分的にはそっちはあんまりピンと来なくて、こっちの歌謡AORは割と好きかなーという印象だった。好きというか、いつもの、なんか気になって定期的に確認のために聴きたくなる感じ。
 AOR、アダルトオリエンテッドなロックといっても、勝新はむしろアダルトすぎるというか、「アダルト」とかいう生易しいところで留まらずに突き抜けてしまう感じというか、、やはりこれは「勝オリエンテッドなロック」、畢竟「勝OR」とするしかないと思うのだが。。 先の、ちゃんとした感じのAORファンっぽい方が、こういうのをどういう気分で聴かれているのか、非常に気になっている。自分みたいに「すごく良い」というより「なんか気になって再生しちゃう」という感じなのだろうか、それとももっと別の気分や理由があるのだろうか。どうなのだろうか。。なんだか独りで聴いていた頃より、投稿したあとに余計気になる曲になってしまった。。
 
 おまけ。勝新の三味線を聴くバルテュスhttp://youtu.be/tox-pvyIt2o
 いったいどんなシチュエーションだよ、っていう。。内容より企画そのものにくらくらする。。