日曜日の印象

 8時間以上寝て、覚めたコーヒーかアイスコーヒーを飲むと頭痛になるのだ。分かってるんだけどいつもそう。
 テクノブレイクという言葉のことを考えていたら、ふと、日本ブレイク工業の社歌が聴きたくなったけど、聴いちゃうとまたずっとぐるぐるしそうなのでやめておく。よく分からない業界用語、専門用語ばかり出てくる唄とかを専門に集めてるコレクターとかいるのかな。というか、社歌みたいなの以外でそういう歌ってあんまりないのかな。分かる人には分かりそうな雰囲気なんだけど、一般的には意味の分からない言葉(歌詞)が歌に与える影響なんかを研究している人でもいないかな。そういう変な人の講釈でも小一時間聴いてみたいな、などと、ふと思う。

 オガーさんとアレしていたおり、ピチカートの「日曜日の印象」を久しぶりに聴き返す。ずっと好きだと思っていたような、気のせいなような曲。自分の気のせいも正気もちゃんと分かってない人なんだから、そもそも、そういうふうに分けて考えてもあんま意味ないんだけども。。 なぜかその時、「恋のたびに恋の終わりのこと考えてた君にとっては」という歌詞が、「音楽を聴くたびに(その)音楽が終わったあとのことばかり考える私(たち)」というふうに聴こえる。ん?なんだなんだこれは、と、頭痛とアレしながら、その思いつきで前後の文脈がアレするように歌詞全体を変なふうに解釈しなおしてみる。(あたりまえなのか、そうでもない別の理由か)うまくいかない。最後、男が浴室で自殺するふうの終わりのところが、なんとなく、しっくりいかない。




 寝て起きる。夕方から疲れなさそうな方角へ散歩。お祭りやってた。ここに初めて来たときも、確かお祭りをやっていた気がする。日没後、民生食堂で食事。帰り道、かつての投げ込み寺を眺めつつ缶コーヒー、しみじみと帰投。むかしみたい。
 Bさんからアレがあったので、スカイプの方にアレする。入ると「今度アレしましょう」などと、ンー先生から声をかけていただく。泣ける。そういうふうにされるといちいち泣けるくせに、なんで自分からそういうふうにする気がないのだろう。。なんなんだおれは。今に始まったことじゃないが、意味が分からない。
 Bさんから北関東のワケアリ系など貴重なお話を聞かせていただく。れこぶ聴きつつ。立花ハジメのバンビ他、なんか思い出のあるのがかかって懐かしい。なぜか唐突にグラウンドビートとかいう言葉を思い出す。ミナス派みたいなのはなんかヒトカラゲにされてるけど、アレではっきり別れるよなーとか。なんやかんやあっても最終的にはいつもどおり、いい気分というか、ありがたい気分にて終了。すてきなBGMのせいか、Bさんと語らう気分もこの前となんか違う。Bさんもなんか聴きながらアレされてるのかなーとか。なんで今までそういうことを考えないかね。。
 その後、Bさんが寝落ちされた後も、あれこれ考えるようなふりでぼんやり。やっぱ頭痛とかあるときにアレしてもダメ。健康第一。健康第一じゃねえよ。そんなことじゃねえよ。。。

 明け方。iヤダさんの日記が復活されていたのを見かけて、めでたい気分になる。ゆっくり後で読もうという気分になって、それだけでなぜか安心してしまう。そういうおれはなんなんだ、と思う。安心してていいんだか、アレなんだか。ゆっくり後で読もうという気分になって勝手に安心されてるiヤダさんの立場になって考えてみろ、とも思うけど、そんなの想像できないよな。。ともかく永年かけて勝手にそういうポジションになってしまっているのだ。。