バンシーと私

 いつもの感じで身体が宙に浮く、今日はとてもよく操作できる。今までで一番思いどおりに空を飛べた感じがする。今にも降り出しそうな暗い曇天。古い団地に降り立つ。四階の踊り場から外を眺めると、団地の庭の電柱?か石のポールのようなものを、暗色のセーターを着た子供が登っていて、今てっぺんに立とうとするところだった。こっちを向いて、やじろべえのように手を広げてバランスをとって静止している。子供の目線がちょうど自分のいる四階と同じ高さ。「危ないからおりな」と声をかけると、子供は困ったような顔をして、しばらくすると、両手を広げたそのままの姿勢で、自分からポールの後ろ側に落ちていった。慣れた様子で、普通の顔をして落ちてゆくので、いつもやっている遊びなのかな?と思う。落ちる途中、子供の表情がさっと変わるのが見える。フェンスの上に落ち、縁で背中を強打した模様。音もしない、変な姿勢、不気味。そのまま庭の黄色く枯れた草の上によろける。何度も「大丈夫か、救急車を呼ぶか」と声をかける。子供は返事をしないで、団地の中に消えてく。


 そんな夢をみた。Bさんと夢の話をしていた関係か、また空に浮く夢をみた。子供の顔ははっきり見たんだけど、どうやっても今は思い出せない。
 昨日はずっとBさんと喋っていた。作業が終わっても、ずっと喋った。Bさんの背負った、重い話というのを聴けた。それを聴いて、Bさんの行いや言動に常々感じていた違和感を今になって理解出来たような気がしたし、理解するべき、という気分になった。そしてなにより、改めて自分自身のことを振り返らせ、顧みさせてくれた。とても貴重な話だった。

 なぜBさんが「すきすき」という記号の連発になるのか、ということを考える。今までそれでどうにかなってきたという成功体験がそうさせるのか。そうだとしたら、ほんとに世の男というやつはしょーもねえな、そんなにセックスがあれか?という気持ちになってしまう。たとえば、どうやったら自分の気持ちがアレするのか考える。むかし人にもらった工作が嬉しかったのを思い出し、作文、工作、音楽演奏、なにか形になった創作活動に弱いのかな、と気づかせてもらう。言葉を大切にしない人の言葉に意味や重さはないのかも知れないし、自分の「言葉の重さ」を保つには、普段からいろいろ気配りしたり、繊細さやセンスがいるのなのかもしれない、と感じる。

 通話を求められることに関して。なぜラジオでのオープンな会話ではダメなのか。なぜ密室が必要なのか。他の平行して行ってる工作に支障が出る、と考えるのが一番すんなり納得出来る。
 かつて、Bさんが出演していた某氏の昔の放送を思い出す。どっちが先にやりたいと言ったから配信を載せただの、裏で話してたことと違うとか、どうのこうの微妙な放送内の軋轢のこと。あのときの某氏の言葉を切れ切れに思い出し、いま、某氏の気持ちを改めてなぞってみる。自分のことに置き換えて。舞台裏(密室)でのBさんの言動行動を推察する。



 Bさんという人の恋愛観に関して。環境、境遇の被害者なだけで、もともと純粋な人。意味や根拠の見つからない自身の不遇を耐えるため、ただ耐えて生き続けるために、いびつな形でも恋愛をする必要がある。生きるために、説明のつかない自身の境遇、その延長である世界(意味、根拠)そのものを拒否し、理解することを断念せざるを得ない、ということ。そういう雰囲気の解釈を基本に、その先をいろいろ考える。

a. 恋愛自体は本気。本気で全霊でもってうち込めるからこそ、自身の逃げようのない境遇のことから、つかのま解放される。理由はどうあれ、恋愛をしている瞬間だけは自分がピュアだと感じることができる。だから強迫観念のように「今」にこだわるのか。
b. いろいろ自覚的。恋愛をゲームのように考えて、ゲームに時間を浪費するような現実逃避。征服してストレス解消。男一人一人がゲームのステージになっている。愛憎が半々。
c. 確信的に相手を巻き込んで不幸にする。関わった人間を自分のような境遇にするための、復讐の恋愛。エイズの女性が無差別にセックスような苛烈な心境。

 以上、Bさんの背負った重いもの、アレな境遇というのが作り話なら、一切無駄な考えなんだけど(話を聴いていて無理な感じはなかったし、嘘だとしてもあれだけ壮大で感動的なものなら天晴と思う)。それを踏まえて、Bさんの恋愛観のいくつかの可能性を考察してみた。酷いことも書いたけど、あくまでも可能性の話。前述したとおり、Bさんがどんなことを考えていても、きれいなことも、汚いことも、自分は理解したいと思うし、また理解すべき、という気持ちです。Bさんは自身の恋愛の動機の不純さみたいなことを気にされ、それでも恋愛と呼べるのか?とあれこれ逡巡されていたけど、それでも恋愛なんじゃないでしょうか。はっきり自信をもって言えることじゃないけど、たとえcパターンの場合でも、それでも恋愛と呼ぶしかないような気がする。それは、ただ、恋愛ということを、なんとなく広義に捉えていたいっていう、僕のただの無意識の願望とか幻想なんだろうか。どうなんだろう。当事者になって、もっともっと間近に立って考えてみないと、分からないことなのだろうか。。

 よる。大根泥棒氏に、そういう境遇が影響する人の性質、恋愛観について意見を求める。話を聞けば聴くほど、大根泥棒氏はBさん側というか、似たものをもっていて、なんとも言えない気分になる。「別にそういう境遇、理由がなくったって、不倫、無差別セックスしてもいいじゃん。男が風俗に行くのと何が違うのか」などと虚無的なことを申される。僕がおかしいだけで、それが普通なんですかね。。よく分からない。僕はこの歳だからこそ、中学生みたいな恋愛じゃないとしたくないけどね。
 以上、いろいろ考えたことの備忘でした。

 転ばぬ先のアレを鋼鉄の杖に持ち替えて石橋を叩き壊す勢いで、今後もアレしてく所存にございます。