きれいなことと、きれいごと

 ちょっと対処してみたら、ぽんこつのパソコンがあっけなく治った模様。うそのように。ここに書くのも憚られるような、ものすごくちょっとしたことで治った。一年と少し、苦労してだましだまし使ってきた時間のことを考えて、落ち込んで切なくなった。

 夜中に某音楽配信を聴く。
 途中で頭痛が始まって、どうも集中出来ない。どう書いたらいいか分からないんだけど、なんとなく、きれいなような事を歌う歌が続き、きれいごと(きれいなこと)の連続に、蜂の巣にされたような気分。きれいな(ような)ことを、きれいごと、などと感じてしまうのは、やはり、自分が汚れているからなのだろうか。頭痛とアレしながら、明け方近くまでぼそぼそ考えてみても、分からなかった。そんなに自分は汚れているのか、などと、余計頭痛がひどくなった。。
 じゃあ、自分はどんな歌の言葉が、きれいに感じるのか、なにか思い浮かべてみようとするが、うまくいかない。何年も前に書いていた日記があって、そこで一度だけ「ここにある言葉は美しいですね」などと、あるレコードに関して血迷ったようなことを書いた覚えがあるんだけど、あれは、本気だったのか、大真面目だったのか、今はどう感じるのか、、そのアルバムを聴き返してみた。
 どうも、特別美しいと思えなかった。。今になって思えば、言葉が美しいというより、「言葉が美しく聴こえるような唄と音楽」とでも書くべきだったのかなあ、などと感じた。そもそも歌を、言葉と音楽みたいに分離して考えていいのかというところからして、アレなんだけれども。。

 あさ。頭痛および、きれいなことを綺麗事と感じてしまう自分に、すっかり弱りきった状態で、人様からのつぶやきに、ひとつ真心を込めてつぶやき返してみた。
 しかし、投稿が完了し、画面に反映された自分のつぶやきを人ごとのように改めて眺めてみれば、
 そこにあるのは、やはり堂々たる「きれいごと」だった。