レディオアクティヴィティ

 21日未明。
 明日の用事のため、昔やったジャケのCDなどを山から発掘する。地震で崩れたのを適当にアレしといたままだったので、埃だらけだったり割れていたり、そういうのを拭いたり入替えたり、あれやこれや。山を崩して掘っていくと、やはりそこには思い出が地層のように折り重なっていて、終わるころにはもうすっかりうすら悲しい気分になっていた。呆然と手を拭う。

 浅い眠り。夢をみて目覚めて時刻を確認、また夢をみて目覚めて時刻を確認、延々くり返す。背中に弱い揺れを何度も感じる。
 よる。知り合いの紹介で人に会う。初対面の人と会って話すのはずいぶん久しぶりだった。力強くしっかりと生きておられる方を前にして、吹けば飛ぶようなポンコツであるところのワタクスはただただ恐縮しまくる。ふりかえると、言葉に詰まったり、錯乱してワケの分からない話をぐるぐるしていたように思う。忙しいところを時間を割いてもらったうえ、食事までごちそうになったり、呑めないのに酒呑んだり、どうにもならないほどに、ますます善蔵路線な夜だった。

 雨に煙る遠くの街の灯を呆然とながめつつ、空き地で煙草をすう。
 ワタスみたいなもんと無関係に世の中は動いている。どうやったら、無理をしないで気持ちよく人と関わって生きていけるんだろう。無意識に墓だの低地だの目掛けて突っ走り始めた頃から、自分の立っている場所は地滑りを始め、そうと気づかないうちに脱落が始まっていた。なんの違和感もなく当たり前のように人と関わって普通に暮らしていたころの気分が思い出せない。どこまで腹を割って話せばいいだろう、人に対する思いやりってなんなのかな。そもそも、どこまでが自分で、どこからが他人なのかな。
 帰宅後、雨に放射性物質がどうのとかいう話をされて、人との関わり方がどうのなどという気分もすっ飛ぶ。

 あけがた。
 前にmixiやらブログに貼っていた心象スケッチふう編集mp3が、外付けハードディスクから救出されたので聴きかえしていた。クソ懐かしい。曲を聴いていて頭に思い浮かんだ聴きたい曲を次々につないだ、荒っぽいしろもの。でもそれだけに、当時の自分の真夜中の気分がまざまざと蘇ってきて、聴きながら全身全霊でもってぼんやりしてしまった。今でも理解できるような地続きな気分もあれば、何を考えていたのか今ではさっぱり分からない他人事のようなところもあった。
 曲がほとんど1コーラスで終わってせわしないのは、編集してたポンコツPCとソフトが10分以上のaiffデータになるとフリーズするのと、たんに自分が飽きっぽいからだと思っていたんだけど、いま思い返すと「明日仕事だから早く寝ないといけない」→「だけどあれこれ聴きたいから、結果つぎつぎ取っ替え引っ替え」になっていたのだろうか。
 そもそもこれを聴いて喜ぶ人がいるいないは別として、これは自分の天然っぷりが如実かつ端的に出ている結晶みたいなもんであるし、これに適当な画像を付けてyoutubeに投稿してみようかなどと思ったけど、、やはり、やった後でおおいに後悔しそうな気もするので保留した。

 そういえば、大むかしの日記を読み返していたとき「おれは真夜中のガイガーカウンター」などという放埒なフレーズにぶつかったんだが、今となってはまったく意味が分からない。いったいどういう気分がそういうことを書かせたんだろうか。。などということを考えていたら寝ていた。