おもいで迷子




 さるお方のさる写真を眺めていた。山に軽自動車が停まっていて、その背景には桜が咲き誇っている。
 きちんとしてるような適当なような、緊張してるような弛緩してるような、深刻なような長閑なような、不気味なような健全なような、かわいいような怖いような、、どう整理して受け止めればいいのか迷うような、なにか絶妙な感じが心に残る。その不安定な感じが妙に心地よくて、しばらく飽きもせずに眺めていた。観ていると自分の中で何かがぐらぐらしてくる。どうにも自分が不安定だから、不安定なものを観て心安らぐのだろうか?
 もうすぐ桜の季節。むかし「この先も、桜と同時に桜を眺めてなにかを感じる自分も観察していこう」だの「メタ花見」だの、うわ言みたいにのたまっていたのを思い出す。ずっと忘れていたけど、桜に対する印象はいまだに変わってはいない。日本には桜という天然のインスタレーションがあるから、(西欧と比較して)ゲージツ家がわざわざ創作するインスタレーション作品を観てもそれほどアレなんじゃないかというアレ。毎年の桜の爆発のせいで、ワタスたちは潜在的インスタレーションに慣らされた体質(不感症)なんじゃねえのかな、という。
 くわえて、地震津波、火山だのの多い風土である。先の地震被災地の映像を観ながら、ぼんやりと頭の隅で考えてしまったのは、そういう大きな自然災害のもたらす、民族規模の精神浄化作用みたいなこと(祭と戦争、純粋消費)。自然災害とインスタレーションと並べて考えたりするのは本当にアレだと思うけれど、、と、どんどん人としてアレな方向に余計なことを考えてしまう。どうしようもない。
 街を一瞬で飲み込んでいく津波の恐ろしいショックのあと、いかなるモチベーションでもってインスタレーションを展示する美術館に足を運べるだろう。。 西欧人の「自然を征服する精神性(石造文化)」と比較して、ワタスら日本人は「自然の脅威にさらされることを諦め、それと共生するような精神性(木造文化)」みたいなふうに指摘されるけれど、そういう心の仕組みは、ゲージツ家のインスタレーションに触れても似たような反応を示すところがあったりしないのかな?
 自然災害やらなんやら、一度として真剣に酷い目にあったことのないポンコツ野郎であるところのワタクスがぼんやり考えてみたところで、所詮アレなんでしょうが。

 よなか。さる音楽配信に気づく。「お、サッカーが始まるまでちょうどいい、ナイス」などと思いつつ繋ごうとするも、ここぞとばかりにポンコツが言うことをきかない。大根泥棒氏のPCを拝借し、なんとか繋いでみるとマライア某の高らかな歌声が流れ出した。いつもと様子が違うのかこれが通常なのか分からないまま、「まあそんな煩瑣なことに捕われず、ここはひとつ精神修養」と、眼を閉じ心のなかを真っさらにして静かに向き合おうとするも、大根泥棒氏が「さっさとPC返しやがれ、このポンコツ野郎」と横からギャースカ言ってくるので、楽しみだったけど断念した。
 「ポンコツ野郎」はちょっとソフトめに婉曲いたしましたが、実際は毎度おなじみ「どぶ人間」呼ばわりされております。

 それでまた真夜中にほっぽり出されて、心が彷徨うにまかせ、余計な作文などしている想いで迷子中年こと超よんぴるなんです。
 しかし「想いで迷子」ってすごい題名ですね。つうか「思い出、迷子」かと、「思い出の中で迷子になる」という唄だと、かれこれ二十年ちかく勘違いしてました。改めて見てみると「想い(愛情)のせいで、迷子になる」という謂なんですね。どうでもいいですかね。
 そういえば昔の日記を読み返していた折「スティーリーダンみたいな演奏の演歌ってないですかね?」という法外な一節にあたって、我ながらクルクルパーだなあと感心した。ロックっぽかったり、やけにグルービーな演歌は覚えがあるけど、スティーリーダンみたいなちょっとアレな感じの和音とかコードの感じで、しゃきしゃきしつつ妙に抑制の利いた端正な演奏の演歌、タイトルは「みれん酒」とかいう謎の7ウンチがやっぱり欲しいです。それか、そういう音楽をやってるコンテンポラリーな音楽家っていないのかなあ。。そういうのを聴いて独りでにやにやしていやがれ、このポンコツ野郎と思います自分に。

 夜明け。昨日のカレーを食う。皿を洗いながら食後の珈琲をいれつつ眼鏡を洗う。これらを無駄のない動作で効率的に一度にこなそうと、洗剤で食器を洗ったところで鍋の火を入れ、洗剤が手についているうちに眼鏡を洗い、手の水をきってインスタントの珈琲をスプーンでアレしたところで洗剤のついた食器を水ですすぐ、、などと流れるような淀みない動作で手早くやっていたら、眼鏡を外した段階で視界がぼやけて、全体的にぐだぐだな首尾に終わった。
 この感じ、まさに今の自分という人間を反映、象徴するひな形であるなと。珈琲をすすりながらしみじみと思った。窓の外は白っぽい朝。