朝。馬鹿の印象

 サッカーを観たり、ダラダラしながら夜が明けた。
 カーテンごしに寒天みたいな色をした、いつもの朝。ゆっくり埃の上にふりつもる。
 電車、近くと遠くで、ヘリコプターの音。こまかい律動。

 壊れたパソコンであれこれ観たり聴いたり読んだりしたあと、ああ俺って馬鹿だなあと、いつものように反省してずぶずぶ沈み込んでしまうのだけど、寝て起きると忘れて同じことのくり返し。馬鹿は直らないから。
 なんだろう。例えばまた一応人並みに義務のようなものを果たして普通に暮らしたとしたら馬鹿は直るのか? いや、馬鹿は馬鹿のままだろう。疲れて気が散ってどうでもいいことで盛り上がって浪費して、つかのま嫌なことを忘れて、つかのま馬鹿であることを忘れるだけだろうよ。それで、あーとかうーとか寝言みたいな作文をして馬鹿を記録し、どこにでもあるような町内名物感覚の馬鹿の塔をうちたてるだけ。
 そもそも、こうして馬鹿馬鹿と連呼してみたところで、いま私が感じ、直面している私自身の馬鹿さを暴き抉り出すにはぜんぜん足りないのだ。馬鹿を説明する言葉を知らないから所謂馬鹿なのだ。馬鹿は馬鹿でも、己の馬鹿をちゃんと説明できるひと味違う馬鹿になって、そして初めて、人から役立たずと呼ばれたい。