にせ音楽ファン手帳

 人様の作文を読んで音楽のことを思い出したりする。
 ぜんぜん音楽を聴かない生活になってからだいぶ経つ気がする。やはりこう書いてみると、そもそも聴いてたのは音楽なのか?という違和感は未だにつきまといますけれども。ひさしぶりに書いてみても、相変わらずなのでうんざりしますけれども。僕の家にある音楽はずっと部屋の壁状態なんだから、「壁を聴かなくなった」とでも書くと、ちょうどよい。
 ぜんぜん聴かなくても済むから、ぜんぜん聴かない。
 こういうふうに書いてみるとすごく単純なんだけど、ただの部屋の壁になり果てた音楽ソフト、夢中だった時間がそのまま思い出の地層のように傍にあって、断層をむき出してそそり立ち圧迫してくる。ぜんぜん聴かなくても済むから、ぜんぜん聴かない。単純に(正直に率直に)そう書こうとしても、果たしてそれが自分の本心なのかタイプする指先がかすかに痺れる。壁を眺めているひととき、いろいろわき上がってくるけど、それもすぐおさまる。頭の中で記憶の音楽(のようなもの)が鳴って、気がすむ。ぜんぜん聴かなくても済むから、ぜんぜん聴かない。
 (たとえば、ステロタイプに乗っかって)こういう時だからこそ、すがりたくなるような音楽だとか、個人的に大切な音楽みたいなのに気がついてもいいような気がするのに、ぜんぜんそういうのがない。相変わらず腹の中を覗き込めば滝つぼの初めの頃と変わってない気がする。いろいろあるけど、結局○ーラウを聴いてにやにやしていられそう。そして、こうして正直に書いてみたものを読み返すと、いつもどおりにむごたらしい。

 いろいろ思い返すと、自分はアナログを直に聴くより、アナログから一旦PCに取り込んだ音源(aiffやらmp3)を聴くのが好きだった(安心感があった)気がする。安心感があって習慣になったのか、習慣になっていたから安心感があったのか、順序は分からないけど。いや、最初は針や音溝が劣化しないからとかいうセコい理由だった気もする。そもそもがアナログに向かない気質なようにも思える。世間の違いの分かるモノホンっぽい人たちはそういうセコいことは言わず、豪胆にどーんとかまえてるのが相場っぽいじゃないですか。
 それで、にせ音楽ファンであるところの僕がなぜPCに取り込んだ音源が良かったかというと、聴きながら「これは所詮エンコードしたものだから、棚の実際のアナログで聴くともっと良いんだ」っていう気持ちの余裕(?)、疑似期待感(?)みたいなのを持っていられたからだと思う。
 自分が好きだと思い込んでいる音楽を聴いてる時に、実際に自分が何を楽しんでいたのか、振り返り、突き詰めて細かく反省すると、レコードの中に入っている音楽の純粋な内容(のようなもの)よりも、聴きながら「これは確かデータ化したとき、実際のアナログの音に比べて、こういうところが微妙だった」とか「この辺がもの足りなかったからEQでこうした」みたいな、些末なディティールに集中したり、なぞって確かめたり思い出したりするのが、(いつのまにか無意識に、音楽を聴くことの)充実感や楽しみの中心になっていた気がする。。音楽の理論やら楽器が出来たりするファンなら、きっとこういういびつで反動的な楽しみ方には多分ならないんだろうなあと想像する。