深津絵里とゆびきり

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 いつかの教室。モノクロの景色。流れる編集テープ。大滝詠一の「ゆびきり」が終わり、シュガーベイブのなんかの曲(おぼえてない)がかかる瞬間、絶妙のタイミングで視界に入った深津絵里のシールのせいで「ああ、これらの曲は深津絵里のことを唄ってる曲だったんだ」というわけの分らない確信をする。という夢をみた。

 起きてから考えたけれど、そういう編集テープは作ったことがない。
 景色がモノクロの時は「あ、モノクロだ」という意識が(夢の中でも)あるので、いつもみる夢はカラーなのだと思う。音は?と考えると、どっちとも言い難い。大滝詠一の「ゆびきり」にしても、シュガーベイブのなんかの曲にしても、夢の中では、音として鳴ってるのか、そういう記号(タイトル)として入力されてるのか判然としない。学生の頃、夢の中で鳴っていたメロディを起きてから忘れないうちにカシオトーンで弾いて覚えておくということが結構あったから、音は具体的に鳴っていた気もするけど、今にして思うとそれは当時タイトルを知らなかっただけの昔の曲だった気もする。
 小さい頃にみた、特に展開が早い夢は、五感で感じてるというより、そういう「台本を読んでいる」という感覚のほうが強かった。
 ふだん深津絵里のことなど考えないのに夢に出てきたのは、つい最近、人様の日記に出てきたからのような気がする。夢なんだし本人が出てきてもいいのに、と思うがシール。ケチくさい。それにワタスの好きな女性はほとんど夢に登場してくれない。ショートカットの(あるいは、ショートカットのイメージが強い)女性にはたいがい弱いんだけど、深津絵里はそうでもない。なんでか分らないけど昔からそう。いかにもフカツエリフカツエリしているというか、いつ見ても、(なにをしてなくても)いるだけで全身から発散される「深津絵里らしさ」のようなものがこっちに伝わって来る感じがして、めんどくさいと思ってるフシがある。つまり存在感がありすぎるということなのだろうか? ナチュラルさがなんちゃらみたいな風評も聞くが、ぜんぜんナチュラルではない気もする。