「綾瀬はるか」という図形

 なんちゃらカエラのりんぐでんどん♪の唄が一番売れているらしいと、なにかの拍子に見聞きしたついでに、デビュー曲のタイトルが「レベル42」なのだと知った。アタスくらいの情報化社会からの脱落者になってくると「レベル42」といえば80年代初頭のブリティッシュジャズファンクブーム期のあのバンドである。なんちゃらカエラとブリティッシュジャズファンク、いったいどんな関係があるというのか。いちいちこの人のすることは気が散ってわずらわしい。静かに物を考えたいのに、心をそわそわさせる。

 気が散ってもあまりわずらわしくないのが、近々だと、綾瀬はるかの「なんとか生命保険みらいサポート」のチアガールのCM。これでもかと躍動する二の腕のたぷたぷに思わずホーと目を細めてしまう。べつに二の腕はワタスのフェティッシュではないのに、なぜ魅きつけられるのだろうか、、と(先のモニタとの至近距離で)思い巡らすうち、ワタスの視点移動、視線の導線が三角形を描くことに気付いた。綾瀬はるかのあの(微妙な)富士額を頂点とした三角形、その富士のちょうど裾野の延長にあのたぷたぷ(二の腕)がある。それが描く三角形の見事さ。 富士を映す湖面のさざなみが、つまりあのたぷたぷ(二の腕)なのである。いかにも静的な富士の頂きと、動的な二の腕のさざなみ、このコントラスト。じつに鮮やかな手管で、日本人の美意識(と言われているようなもの)を15秒という時間に再定着させているようにも感じる。
 綾瀬はるかという人の魅力には、黄金率とかそういう類いの、精妙かつ神秘的な数学的法則が働いているのかもしれない。思えば、ワタスが綾瀬はるかという人に最初期に持った認識は「なんか、ひし形っぽい」というものだった。あの時の「ひし形」の正体は、富士と(湖に映る)逆さ富士、ふたつの三角形がかたち作るひし形だったのだ。


 画像はCMのがなかったので、てきとうな拾い画像で(実際のCMはもっと見事な三角形です)。このさい、おっぱいはあんまり見ないで下さい。
 よく探したら、ちゃんと動画がありました。「【大図説】綾瀬はるかと富士山」を掲載いたします。(6/19追記)






 以下、宛先のない返信を収納。
 熱いメール、感激しております。
 ねとらじからは離れてしまっているので、ワタスはちかごろの様子は分っておりません。。
 
>「二番目に言いたいことしか人には言えない 一番言いたいことが言えないもどかしさに耐えられないから 
>絵を描くのかもしれない 歌をうたうのかもしれない それが言えるような気がして 人が恋しいのかも知れない」

 思わず、おお、、なんかすげえ、、とググってしまいましたw
 過去に何度も書きましたが、ワタス自身「ラジオで話す人」としては資質がないのは分ってました。
 喋るのがへたくそだし(うまい人のを聴くと技術も方法も足りない)、瞬発力もないし、書くのならもう少し自由に出来るっていう思い(こみ)があったので、「どうせ喋ってみても。。」と、どの程度なにかを伝えようという真摯な気持ちでやっていたか、自分でも疑わしいところです。つまり、気持ちも足りない。
 「ラジオ放送」とか「番組作り」ってどんな感じなのか、やって体験してみたいっていう気持ちはすごくあったけど、喋ることには不真面目だった気がしてます。一番基本的な部分ていうか、肝心なところが抜け落ちてた。けっきょく、真剣に真面目なことをしゃべれなかったし、真剣にふざけることも出来なかった気がしてます。
 喋れないのを補うつもりで、BGMだジングルだ話すネタだと準備できる部分は準備してみても、なんか不自然なんですよね。――例えると「オマケつきキャラメルの、キャラメルが腐ってる感じ」というか。まあ今時分キャラメルはないか。―― きっと自分は、その「準備」が楽しかったんでしょう。万一、なにか聴いてくださる方に伝わってるとしたら「準備してる人の楽しそうな感じ」とかなのかなあ。 
 それにまあ、書いたり描いたりしても、ワタスのは「それがどうした」っていうようなのばっかですのでw 「それがどうした」ってことに無駄にこだわっていきたいので。観たり読んだりして、バカだなー!って感じていただければ、それだけで嬉しいですね。