ひかりと無気力のダンス



 テレビでサッカーの試合を観て、明け方まで寝た。ぐずぐずしたまま朝。外がうるさい。線路の補修工事かなにか、砂利をざらざらーざらざらーとやっている。その、ざらざらーざらざらーがずっと耳に残る。それから、部屋の前の廊下を誰かが行き交う足音がする。廊下にいくつもある下水のフタが鳴る。ぼこんべこん、行きつ戻りつ。ドアの向うでなにか擦れるような音がしたりして無気味。電車も走る。遠くから子供の声。昼前には室内はもう暑いくらい。窓の外、ちらちらおどる光に無気力が浮かび上がる。

 ある路地裏系コミュの東京オフのリポートなど眺める。ずっとそれ系に魅きつけられているのは、どこかで自分もそういう血が流れているんじゃないか?という思いがあるのだと思う。墓でぼんやりとしていた頃にはじまり、不思議な路地の風景に心奪われ釘付けになった思い出やら、振り返るにつけ、漠然とそういうことを考えていたような気もする。特に母方の出自にはいろいろ不明なところが多くて、一時帰省するたびにあれこれわけの分らない質問を繰り返して、はた迷惑な人間だと思う。かりにそういう人間だとわかったところで、自分にそういう血が流れているとわかったところで、その時、どうするつもりなのだろう。どうにもならないだろう。


 ある時、イヤダさん(誰)の会話調の作文を読んでいて、高橋源一郎の「失語症患者のためのリハビリテーション」(みたいな題名のやつ)を、ふと思い出した。「このコップいいね」「いいね」「このコップ、なんかいいのよねえ」「なんかいいのよねえ」みたいなやつ。ふと思い出しただけで、別にだからなにというのはないのだけど。たんに詩みたいなデリケートな言葉の扱いと緊張感が似てるというだけなのだろうけど。失語症ってどういう感じなんだろうか、、などとあてもなくぼんやり想像した。
 ちかごろは枕頭にてトーマス・マンの短編集など読んでいる。なんでトーマス・マンかというとまたまったく理由はなくて、たまたま本棚から落ちてきたからとか到って消極的な動機で読み返してみてるだけなんだけど、これがものすごく退屈なので二、三頁読むとてきめん眠くなる。退屈を感じると同時に面白く読めてしまうような本も多くて、そういうのは読み終わってから「ああ、わりあい退屈だったかも」などと、アタスみたいな呑気かつ鈍感なタイプは振り返ってみたりするんだけど、これはもう、退屈だなと思ってる自分を眺めながら読んでる感じ。文字を追っても圧倒的に頭に入ってこない。むかし読んだときはそんな退屈な印象はなかったんだけど、、どんどんバカになってるんじゃなかろうか。人様の日記を読む方が断然おもしろい。人の日記がその晩、よれよれになった文庫本の活字で読めたりしたら最高なのになあ。モニタは枕元で読むにはちかちかするし。そのむかし、イヤダさん(誰)の日記を縦組明朝体で出力して数カ月づつ綴じて自家製本し、便所などで読んでいたけど、あれは良かったものなあ。。またやろうかしら。時間あるし。


 音楽をぜんぜん聴いていない。「音楽」という字面が大袈裟で、書いてみて毎回アタスには違和感がある。ちょうどいい言葉はないんだろうか。 ポップス? 大衆音楽? ちょうどいい、ぴたっと気持ちにフィットするようなのがなかなか見つからない。「音」これも大袈裟でだめ。「おんがく」とひらいてみると、なんかグレードダウンする感じがして漢字より若干よろしいんだけど。なんかこれもなあ、と思う。
 ネットラジオでごにょごにょしていた時は、なんかいいBGMないかしら?などと棚をごそごそする機会が多かった。ユーチューブでごにょごにょしてる時も、なんかアレするのにいいのないかしら?と毎日ごそごそした。今はまったくそういうのがない。純粋に自分だけにそっと聴かせてやる音楽がない(なに言ってんだ、もともとそういうもんだろと)。「ない」というのはエラそうですね。アタスがもともとそんな人だったような気もする。こう書くととてもさびしい。むかし、朝起きぬけに聴くのが好きだった音楽。入浴し日記の作文をして疲れて寝る真際に聴くのが好きだった音楽。棚で眠ったまま、どこにいってしまったのだろう。
 数日に一回、ユーチューブをひらいてみる。やたら投稿してるのでなんかしらコメントがついてる、それを見てまわる。「ふーん」とか「どうも」とか「すみませんでした」とか、いろいろ思う。それから気が向くと、目に見えるところにあったやつをちょっと流したりして「ふーん」とか「なかなか」とか思ったりして、閉じる。それでだいたい満足してしまう。
 レコードをいっぱい買っていた頃も、ずっと自分は音楽が好きではない予感はしてて、じゃあ何で買うのか? たくさん試聴した中からどういう基準で判断して買うのか?という自問自答はあった。その頃は「自分の家に帰ってきた気分にさせてくれるレコード」かなと、なんとなく思った。おおむね好みに一致して、かつ他で聴けないようなやつ。今は出かけないから家に帰ってきた気分もくそもない。家の外も中もない。熱心に音楽を選り好みする理由も、熱心に求めるような理由もない。たまたまユーチューブで出会ったの(誰でもすぐ聴けるやつ)を喜んで聴いたりしてる。前よりも自由な気もするし、音楽に出会うまでのややこしい手続きがなくなったぶん物足りないというか、そこからの錯覚かもしれないけどだいぶん大雑把になってる気もする。時間的制限や肉体的精神的抑圧から逃れて、ただ全部に対して鷹揚になってるだけの気もする。ほんとうに求めて、本当に喜んでいるのかは、やっぱり分らない。




 とっどらんぐれん"a dream goes on forever"のカーネーションの人の日本語カバー。原曲(ライブじゃなくてスタジオ録音の、あのぐねぐねしたやつ)も上がってたと思うんだけど見つからない。。 あの、ぐねぐねしたやつ貼りたい。。
 97年のだいぶさわやかなセルフカバー。→http://www.youtube.com/watch?v=XicWod64zCw