壁掛けみたいな散歩コンテスト




 土曜日は東に出かけようと思ってたけど、東には丘がある。丘を越えるのがやっぱりめんどう。それと、寝ずにどっちでもいいような作文をして、書いても書いても辻褄が合わずもともと混乱してる頭がどんどん混乱していって、気分も最高潮にドヨンとしていたから、どうでもよくなってしまってやっぱり西の方へ適当に出かけた。
 昼前。腹が減っていたので民生食堂にて380円にて供される食事をとった。腹がふくれ自転車をこぐのが苦しい。やっぱり西にしてよかったと思う。空は曇っていて、陽射しや気温はないのだけど地面からむっとするような温気がわき上がってくる。半袖にしてよかった。食事のにんにくが強かったみたいで、しばらく走ると絶え間なく胃から戻ってくるにんにく風味に気分が悪くなる。100円で缶の炭酸水を買って飲む。すこし収まる。しばらく走るとまた気分が悪くなる。もう少しなにか飲めば治まりそうだったので、ここで奮発して80円の缶コーヒーを買い求め飲むとだいぶよくなった。
 西から北上して川沿いの森のようなところを走る。久しぶりに緑の多いところを走ったら気分が良かった。公園の水道で首を冷やしたり、顔を洗ってごしごし拭いたりするのも久しぶりで気持ちよい。おかちめんこ氏(仮)と出かけたんだけど(おかちめんこ氏とは、かつてその頭巾スタイルをアタスに「大根泥棒」と命名された人物である)、ずっとひと気がないから、走りながら遠慮なく大声で会話する。おかちめんこ氏は日頃から口が悪い。なんというかナチュラルに口が悪い。自転車でひと気のない場末を走っていると特にそうなる。不良とかヤンキーみたいな、つっぱった感じでもないし、一言多いとか、皮肉っぽいとか、そういうのとも違う。走行中、「うんこ」とか「死ね」とか「バカ」とか、プリミティヴな感じの罵詈雑言を大声で口にする。口じゃなくて頭が悪いのか。自転車のスピードと、道中の大自然が人をなにかに回帰させるのか、それがとてもナチュラルな感じがした。

 ずっと曇っていて、なにを撮っても白くてのっぺりしていた。シャッターと呼ばれたりするボタンを押すたび、カメラががんばって電気の絵を作って吐き出してるという感じ。森の奥に池があって、黄色い花が咲き乱れていた。
 むかし、アタスの恋人みたいな立場の人と、その恋人の浮気相手(つまりアタスの恋人の浮気相手みたいな立場の人)のことをよくへらへら喋っていた頃を思い出す。そしてアタスは今もってへらへらしている。だから堕胎の意味も分らないのだ。恋人の意味がわからないのだ。恋人の浮気相手の意味が分らないのだ。恋人も、恋人の浮気相手も、堕胎も、風景も、白く映る写真も、ぜんぶ等距離に見える。ぜんぶ同じように意味が分らない。アタスはずっとへらへらしていて、ずっと意味が分らない。黄色い花が咲いていて、意味が分らない。この日記のただの模様みたいな写真のように、恋人も恋人の浮気相手も堕胎も、アタスが書くと模様のように見える。へらへらしていて、無気力で無能なので、意味が分らない、見つからない、感じとれない。あきらめる。風景は、熱意のある人にしか意味はない。
 適当に夜まで走って、近くの里による。配給所の肉を求める行列におかちめんこ氏が並んでいる間、里をうろつく。夜の商店街を人が大勢歩いていて、その日はなにかそれが珍しいもののように見えて、しばらく眺めていた。無遠慮にばしゃばしゃ写真に撮った。うどんにかき揚げをのせたやつを食って帰投。迷って暖かいうどんにしたけど、店内は冷房がよく効いていて問題なかった。いまは正直、うどんを食う時のよく効いた冷房の意味くらいしか分った気がしない。