著者が死んだブログコンテスト


 いんたーねっとをしていてたまたま飛ばされた先が、「山行が」の「変なもの発見」のコーナーだった。前に観た記憶もおぼろげだったので、やたら時間をかけて眺めていたらとっくりと時間がたっていた。一枚づついちいち「何県何々市かー、こんな雰囲気のとこなのか」とか「あの人が住んでる街だなあ」とか。「物好きっぽい著者なのに、なべおさみは知らないのかー」とか「マルフク、キリ看、趣味が合うなあ」とかいう感想は、むかーしに観た時も持った。変わらねえなワタスと思った。「戻ル」を押すと、見なれない宣伝っぽいページに飛ぶ、「山行が」の一こんてんつ? 一瞬ここが「山行が」なのか分らなくなったけど、たぶん「山行が」なのだと思う。
 さぶこんてんつの途中のページに飛ばされても、つるつる入っていけるので、ほーむぺーじだのブログだの、見やすい読みやすいのって大事だなあとか、いまさら寝ぼけたことを思う。いやあれは写真や文章がとてもチャーミングだからか、見やすいからウンスンとか書いたら失礼か。たまに、自分のぶろぐやら、他にもいろいろ遺構のようにネット上に散在する過去の痕跡を思い出したように見返してみると、だいたい読みづらい。「いいんだこの程度でいいんだ」という、書いたり作ったりしてる時の気持ちも結構覚えてるんだけど、やっぱり、ぁぁ読みづれえ。。とたいがいゲンナリしてしまう。
 ゆーちゅーぶのチャンネルには「生存報告のサウンドトラック」という、毎度おなじみ犬も食わないような名前をつけたせいで、更新がないと「死んだか?」と思われてないか、たまに気になる。いいかげん自意識過剰だし、「死んだ」と思われても、べつにぜんぜんいいんだけど、少しやってみて「ああ、なんだか随分やさしいお方々もいるんだなあ」とちょっと思ったので、ちょっと気がかりではある。でも逆に「これらの投稿をした人間が既に死んでこの世にいない」と思って視聴してみたほうが、より興味深いと感じるようなアレな人もたくさんいるだろう。自分もどっちかというとそういうタイプなような気もする。
 前に「著者、制作者がすでに死んでいるサイト、ブログを報告するスレ」というのを興味深く観た記憶がある。報告されているサイト、ブログが面白いかは、やはりそれぞれ内容による部分が大きいけど(あたりまえだけど)、これを書いてた人がこの世にいないとか、ある日急に更新が止まって、後で身内が出て来て「こうこうこうでした、いままでお世話さまでした」などと挨拶しているのを見ると、なんだか不思議な感じがする。またそれはそれで、違う興味で読めてしまったりする。。 付加価値がつくとか書いたらアレなのでしょうけど。 スレで交わされるヲチ対象に対する所感もいろいろで、7,8割は同情的、残りは虚無的なだったような印象(こういうのは建てられる板の性格にもよるんでしょうけれど。。)。 「やさしいなあ」とか「残酷だなあ」とか興味深く眺めた。
 「読者に著者が死んだと思わせるブログコンテスト」などというのを妄想した。世界中の、超一流に人付き合いの悪いやつら、それでもなんか書いておきたいというめんどくさいやつら、詐欺の才能のあるやつら、超一流のめんへら、その他よく分んないけど悪趣味なやつらが、手管をつくして読んでる人にこいつ死んだな。。と思わせる日記を書くのだ(死ぬタイミングは任意で)。。ここまで書いてみたけど具体的にどんな方法になるのか、どんな日記になるのか一切思いつかない、いきなり想像力の限界だ。そんなのがすぐぽんぽん思いつく才能があったら、このようなしょぼくれた日記なんか書いてないか。だいたい「生々しい死」「いかにもな死」というのは、想像より平凡なのか? 奇抜なのか? わからない。ああダメだなんか眠くなってきた。「眠いなあ、、寝る前にシャワー浴びるか」と思って入浴すると、眠気がとれて「じゃあなんか書いてみるか」と思って書いて来たところで、また眠くなる。今日はほどほどに無責任でお伽話ふうに書けた。それではまた。