やんごとなき唄

 なんやかんや、ごにゃごにゃして過す。
 ちかごろは、かのイヤダさんが日記に復帰されたみたいで、なんだかありがたい。ここを読んでくださる皆様方におかれましては、だれそれ?というアレかも知れませんけれども。 いつかお伽話のように、自分の日記に出てくる(ぼかして書いてる)人物たちをまとめて日記に書いて、「なぞのさぎょう物語」の登場人物紹介としてトップからリンクでも貼ろうかと。いっそう気持ち悪がられるからすぐはやりませんけども、もともとアレな評判でしょうし、このさいさらに気持ち悪がられようが私はやるつもりですけれども。
 あいかわらず新しい機械の問題は解決しないんだけど、スペックだけは最新になったので、動画編集のソフトとかをピロピロいじってみる。よる。サッカークラブWCを観てたらそのまま寝落ちて、意識が戻るとすみれ色の朝だった。そんなすみれ色の朝に、かのやんごとなき方と交感させていただき嬉しかった。ほんとうにもう毎度気持ち悪い話で恐縮ですけども。そういうことがなければ日記を書く気もおきないし、日記を書く気分の時はもう自動的に気持ち悪いことしか書かない(書けない)のである。
 ちょうど一つ、やんごとなき方に質問したかったことがあった。あれは春か初夏の頃、やんごとなき方が放送中にレスに応じて即興で替え歌を唄っていたことがあって、自分はそれが強烈に気に入って、その録音であれこれ工作していた。ずっと気になっていたのはその替え歌のメロディなのだ。原曲はあるのか? まあ原曲を知らないからこそ、先入観なく謎の工作にかまけることが出来たのも事実なのだが、もしオリジナルのメロディがあるのなら、ぜひ知りたいなあ!と思っていたのだ。尋ねてみると、○戸彩の「涙の虹*1という曲とのことだった。いやあ!すっきりした。数カ月来の胸のつかえがとれたのも嬉しいが、わざわざやんごとなき方が鼻歌で確認してくれたのがすばらしかった。嗚呼、すみれ色の朝にやんごとなき歌声。こういうのをなんというのだろう。鬼に金棒?渡りに船?柳に燕か?朝にすみれか、はたまた馬の骨に念仏か。なんだかよく分らないけど、寝落ちから復帰直後のぐずぐずした脳味噌が一気に活性した。目の前に花がさいた。ここは極楽浄土か。軽く死んだ。毎度おなじみおめでた野郎でアレなこってす。そして一緒に○戸彩の「涙の虹」のようつべなぞ拝聴させていただけたのも、私などにとってはこれを幸甚と呼ばずして!という向きのやんごとなき体験だった。○戸彩の動く電影を観て「あー!」とか「うー!」とか共感し、かのやんごとなき方と同じ時間を分かち合えるだなんて。。これは魂の交感だ。最高だ。そして最高に気持ち悪いおっさんだ私は。しかし気持ち悪い自分と向き合ってこその私の日記だ。これは誰の日記だ。私の日記だ!と力強く宣言するには、気持ち悪いことを書くしかなかろう。誰彼と似たようなことを書いて適当にお茶を濁したところで、それは誰の日記でもない。きっと師匠(ああああ氏)もそう思っているに違いない。






 (前述の)やんごとなき方の替え歌で工作したものを使って、やはり以前、やんごとなき方に贈らせていただいた放送用ジングルがあるんだけど、動画編集ソフトをいじってたついでに、それに絵をつけてみた。 動画っつうか、ただ静止画が切り替わるだけのアレですけれども。。 作った当時は原曲の存在をいっさい知らなかったので、ぜんぜん違う雰囲気の曲にくっつけてある。たぶん、やんごとなき方の替え歌アカペラをループ再生しながら、いろいろレコードを聴いてたら偶然ぴったりきた好きな曲があったので、これだー!と思ってやったんだと思う。ピッチもいじらずに、なんとなーくハマった。70年代アイスランドのフォークとジャズの混ざったような(言葉のままフュージョンでいいか)グループの音源で、ツンレ〜ツンレ〜♪と唄ってるトコは「お月さん〜お月さん〜」という意味なのだそうだが、私的には「レイキャビクから観る月も、会津から観る月も同じですよねサノヨイヨイ」というメッセージをこめて作った。というのはうそです。