鬼ケ島より愛をこめて


 例によって身動きとれず。今度は鬼の器械の回線に不具合。さっき試しに例の文明の利器を立ち上げてみたところ、チャットが来てたことに気付く。25日夜。回線に問題が出る前だろうか。どうもすみません。こちらにて「こんばんわ」。
 昨夜寝ながら考えていたのは、こんだけjkの録音物であーだこーだしてるんだから、もう自分で吹き込んでポッドキャスト配信すりゃいいじゃねーか!ということなんだけど、いざやろうとすると、あえてポッドキャストにしてまでしゃべりたいということもないことに気付く。30分だ1時間だとだらだらやったって誰も聴かないのは分ってるのだ。ただ工作物として形にしてみたいのはjkのクレージートークのような密度と集中力とトークの表現性、数分間のポップスのスケールでお手軽に味わえる充実感なのだ。で、次に考えたのはjkみたいなクレージートークをあえて真似してしゃべってみるということなんだけど、やってみたらこれまた至難の技だと気付くのにものの5分もかからなかった。次にjkのクレージートークをそのまま一言一句トレースしてしゃべってみる、「クレージートーク練」というやつを試みてみたんだけど、いくつか吹き込んだものを聞き返したらまったく別のしょうもないモノになっていて愕然とした。なんつうか自分がやってみても、jkみたいなチャーミングな感じに全然ならないんだよな。にじみ出す人柄というか「かろみ」とかお茶目さというか。写経とかああいった精神修養みたいな効果はあったけれども。

 某タ氏の「無圧縮の愛」はいい話だなーと思った。一応自分も自身の放送の録音はmp3でぎりっぎりで保存してるけど、それでも辛い、ポンコツだから(wav形式なんてとんでもない話だし、ましてや人の放送の録音なんて、とてもとっておける余裕はないんだけど)。某タ氏ほど徹底できてないけど、自身の放送を「自分の作ったもの」として愛する姿勢には大いに共感する。よく人さまのねとらじを聴いてて「自分の録音なんてきもくて聴き返せない」とか「そういうのは過剰な自己愛めいててきもい」なんて話を聴くけど、そのつど、自分で愛せないモノを人さまに聴かせようなんて不貞野郎だと思う(まー思うだけで別に静かにラジオを切るだけだし、そういう放送でも魅力的なやつもいろいろあるけどさ)。自身の配信に愛情とか愛着がある話者の放送は、聴いてて伝わってくるもんがあるなーと常々思う。丁寧な配信だなーとか、隅々まで配慮がるなーとか、そのへんの意識は「具体的かつ数字的な音質と、トーク内容の、中間にある音質の問題」とかにも密接な関連を感じる。聴いててなんとなく気分がいいってだけで、些末なことかも知れませんけど。
 まあ、そんなことばっか気にしてもアレなのは分ってるし、jkのクレージートーク風にしゃべりたい!なんて明後日の方向に突っ走ろうとしてるコトがそもそもアレなのも自覚ありますけど、どうせ当分配信できないのをいいことに好き放題書き散らかして適当におさらばいたします。それでわ。