寿司屋で誕生会


 20日夜。鬼の目を盗んで、いつものお寿司屋に凸。昨夜は某大将の誕生会だった。前回の反省から「次はどうにかしたい」などという思いもあったんだけど、またバタバタしまくっていろいろやらかす(あれから、鬼に例の文明の利器を消されたりなんやかんやあって、インストールし直し設定やり直しだの)。けっきょく振り返ると短いのだけが利点の凸だった。都合8分未満。もっと落ちついて話たかったなあ。どやどやお邪魔して、茶も飲まずに玄関先で手土産を急いで渡す。元祖若大将こと加山雄三のスインギーな佳曲「日本一の若大将」、そして大将のフェイバリットでもあるワッツゴーインオンのPenny Goodwinによる73年のカバー。数あるワッツゴーインオンのカバーの中でも、自分が知る限り最もドラマチックにして理性と本能が同居する傾聴するに値する仕上がりだが、見事に微妙な結果に終わった。期待すること自体があつかましいのではあるが、またも己の不能感を軽く感じつつ、凸終了後は鬼とモメる。うっさいわほんとどうにかしてほしい。モメてたせいでしばらくして戻ると続々と凸者が続いてる模様。両先生による連続凸は豪華でしびれた。それに物おじせず堂々と迎え入れ、正面から渡り合う某大将にも感服した。抜き身の真剣を振り回すようなトークが冴える両先生である。晩秋の丑三刻、刺身包丁vs○つらじの名刀といった景色を呈していた。ちなみに一番印象に残ったのは通話と同時に落ちた妖刀ナ先生の一回目の凸で、自らは一言も発っさずにスカイプの操作音だけで耳を斬られた思いがした。配信中を通じて緊張と弛緩の最大落差を記録した瞬間のように思う。あれは眠狂四郎のなんちゃら殺法といった面妖な剣術の類いではなかろうか。日頃から思ってたことだが、配信中の戸外の珍走団やら花火やらの環境音さえも面白く聴こえてしまう(聴かせてしまう)ナ先生のラジオの魔法には感服することしきりである。音と意味が織りなす「ラジオの空間」というものについて改めて考えさせられる。明け方。某次郎屋さんが凸ウケして蜂の巣にされていた。いや、泣きっ面に蜂と言うべきか。当ブログに言及していただいてるレスを見て、今日もまた、しゃべる爆心地a.k.aねとらじのグラウンドゼロことうまのほねの魂の救済者さまの存在を実感する。溺れる者はねとらじつかむ。

21日。起きぬけをナ先生の「森を歩いていて俺という大樹を切り倒した時、年輪が大きい方が南だ!みたいな」という妖刀の一振りに何かを持って行かれる。そうこうしてたら約半年ぶりに某だんす女史の声がする。なつかしい。いろいろ好転した近況などを拝聴。自分ときたら半年前となんも変わらん。いや、ねとらじ配信のすべを失った代わりに、今は手の中に例の文明の利器があるではないか。今こそ、という段になってもやはりここは陸の孤島鬼ケ島。身動きとれん。うっさいわほんとどうにかしてほしい。 

Download what's goin on / penny goodwin ('73)