ねとらじ 声の姿見

 寒い。
 特に表だった活動なく無気力に過す。なんとなく沈滞停滞した感じ。ここ数日いろんなことがあったからそう感じるだけで、今までどおりの通常運転に戻っただけのような気もするけれど。ねとらじをつけたり消したり。たしたりひいたりソウサしてサキョクする。なんとなく一ケ所に落ちつけず、無音にしてなにやらよしなしごとをぼんやり考えたり、凸録音を振り返ったり、そうかと思うとふらふらと仙人新聞の音源などをかいつまんで聴いてみたり。どうにも落ち着きがない。jkに関しては自分の中では「jk組曲」でいったん区切りをつけたつもりだったのだけれど、どうもまた近頃、考えている時間が長い。寒くなってきたせいで、気持ちが内向するような傾向があるのか、リアルタイムで聴いていてピタっと収まるねとらじを見つけられないからなのか。
 「よく収まる配信」というのは自分自身を映す鏡のようなもので、向き合うにつれ自身の考えや思い、時には欠点さえもよく映してくれる。ねとらじザッピングというのは家具屋でちょうど具合のいい姿見でも探してるかのような気分でもある。

 以前、「この世からremix業というものが無くなっても一向困らないタイプの音楽ファン」などと自身のことを書いたが、なぜそう思うかと言えば、そのうち一億国民総remix時代が来るように思えるからだ。来るように思えるというか、既にそういう時代が始まっていると思う。音楽ソフトのユーザーそれぞれが、好き勝手にあれこれやればいいと思っている。そうなるとremixのプロだの名人などという、それでメシを食うような専門家は無用なのである。専門家による高品質なremix、そこにある卓抜な着想なり職人芸を聴きたいなどという方も多いのだろうが、どうも音楽の機能性や実効性ばかりを追い求めているような向きも少なからず感じる。自分などの場合は、プロがremixした○○○などより、たとえば熱狂的なさだまさしファンの素人がドグマ全開でさだをremixしたようなピュアな創作物のほうが、はるかに興味を持てるし、ぜひ聴いてみたいとも思う。
 なんでまたそんな話をぶりかえしたかといえば、ちかごろ「jkの配信音源であーだこーだしてる自分はなんなんだよ、いったい」という自問自答にとりつかれているからで、実際に「これ(jkの声)でなんかしてみたい」というムラムラが来る瞬間から作業中にいたるまで、ほぼ無意識で没入しているので、途中でハタと我に返っては「ああ、おっかねえな、この傾向は」などと思うことがしばしばなのである。まあremixつうか、作業内容はほとんど衝動的に曲に声をかぶせるだけの、ごくごく単純で原始的な方法なのだけれど。。単純で原始的な方法ゆえの「ピュアさ」だけが取り柄なのだけれど。
 配信中の(哲学、科学万能主義というか)神をも恐れぬ言動しかり、仙人新聞にも書いてあるとおり、jkは宗教だの一切の信仰とは無関係な無神論者だが、哲学と科学、そして真理探究に対する人並外れた熱意のせいで、一般のねとらじリスナーに宗教がかった印象を与えているように思えるのがなんとも皮肉だ。普通の人よりわずかばかり純粋で、集中力に恵まれているだけだというのに。信じるものがある人の集中力はすごいなと思う。神、学問、美、愛、そして「自分」というものの内外を問わず、信じたところに神が宿るものだと思うし、もっといえば「信じる心そのものに神が住まう」とも思う。



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なんちゃらfeat.jk [ドンチャック物語に出てくるビーバーみたいなmix]
 jkの録音物であれこれするときも、自分はやはり(ねとらじの方法としての)声と話術の「音」に関する部分に特にフォーカスしたいので、(失礼ながら)聴いていて抵抗感を生んだり、聴取者を構えさせるような堅苦しい話題の部分をカットしてしまう。数分間のポップス(大衆音楽)のスケールにまとめる上でもどうしても切らなくてはならない。jkの配信のポップ(通俗的)な部分を、数分間のポップス(大衆音楽)にまとめる、そうすることで、jkの配信の「純粋な音としての魅力」を伝えられないかなあと思うのだけれど。。 
 jkの配信の、ナンセンス漫談風のクレージートークを「ポップな部分」と書いたけど、言葉が平易だからポップに聴こえるだけで、ポップ(通俗性、大衆性)の語義とはまったく異質なことも理解してはいるのだけれど。。

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なんちゃらfeat.jk [せんべいとまばたきmix]
 あの放送スタイルもそうだけど、jkの話術には限界まで贅肉をそぎ落としたかのような均整と洗練、永年転がり続けて円く磨かれた川床の石のような独特の美しさを感じる。この「せんべい」に関するトークなどは聴いていて「ものすごく美しいな」とまず率直に感じた。日本語としての言葉の美しさも出色で、よもや即興とは思えない詩性を示している。「せんべい」と「まばたき」というコントラストも精妙だし、「えびせんをつかまえて/急所を犬歯でかみくだいて/弱ったところを召し上がりました」という一節も、えも言われぬ艶と色気をたたえているように思う。
 マイクのノイズだけが残念なのだけど、ここでは自分が「(ラジオの)音に関して、何を美と感じるか」みたいなテーマを、無意識に選んで作業していたように振り返る。いつもなら(やはり短時間に詰め込むために)「あー」とか「えー」や、沈黙部分をカットしたりするんだけど、この「せんべい」トークはそのままで美しいと感じたので未加工で使った。