言葉の水門のほとりにて


 そういえば数日前の「宮子」に関するお問い合わせの件。きんきんの撮影になります。ついこないだの週末もあの近くをうろついてたら偶然「宮子」そばに出たんだけど、おりしも間近にビルを建設中で、もうあの時の強烈な西日の照射は得られなかった。街の表情はあっけなく失われる。
 今日はだいたいモケーと過しつつ、夕方から傍目にはしょうもないんだけどミスが許されない骨の折れる例の仕事で外を廻って帰宅してモケーとする。今日はいくぶん温んでいたかもしれない。魚肉ソーセージを焼いて食いつつ戦後の闇市気分にひたったり、生姜ご飯の握飯と味噌汁を戦地の足軽っぽい気分でいただくとこれが胃袋にたいそう沁みた。夜もモケーとしてるとjkが始まったのでモケーと聴く。ブログ(仙人新聞)を久しぶりに覗くとまたものすげえことになっていて、さすがjkだなと思った。テクストもしっかりとjk流儀に貫かれていた(徹底的に本文がボールドなのが文字が潰れてやたら読みづらいんだけど、そういうとこまでいちいちjkっぽさを感じる)。モケーと過去放送などをかいつまんで拝聴しているととなりで鬼も聴いていたようで笑っていた。jkは来年の話はしてなかったけども。一週間ほど前に聴いた池袋に出かける直前の放送、「鋲のついた服を着てる若者を避けて、やわらかそうな人の間を狙って歩く」「オレは身軽だからガードレールとかを飛び越える」なんて言ってた放送がひっかかってて、それを探したんだけど見つからなかった。やりすぎだよjk。それにしてもjkのバイタリティにはいつも驚かされる。早朝ラジオして、ダンプを転がしつつ外配信、帰投して夜配信。。その上、ああも気合いの入ったブログも毎日更新してるとは、いったいいつ寝てるんだというくらいの情熱。平成電脳水呑百姓あらためねとらじ退屈男こと馬の骨は、まあ素浪人ですからアホみたいにねとらじ聴いたり日記書いたり出来ますけれども。。
 つねづねjkの声は教授ことs本龍一氏に似てるなーと思ってて、チェット・ベイカーやスティーヴ・キューンやらに通じる鼻炎&歯抜け系ボイスがすこぶるテイスティ。比較になるかなとjkの説法をs本氏の唄にかぶせてみた。




Download sayonara / ryuichi sakamoto ('91)
jkが唱っていると想像しつつご聴取ください。

 そのあとは某D氏のを聴いてアレな話題にアレなレスをしたり、○○を誉めまくる某タ氏を聴いたり、まんじゅう氏が今にもしゃべり出すんじゃないか?とたまにチェックしたり、なんやかんやがちゃがちゃしていたら気付くとすみれ色の朝だった。そして、いつものノイズの向うからjkと朝がやってきた。
 今朝はjkのよき人であるところのovo女史の家事の音がいくぶん怒っているように聴こえて、心無しかjkの気もそぞろ言葉も湿りがちに感じた。番組最後、時間を見て焦るjkが「残り2,3分で私は宇宙の真理を語ることが出来るのか?」と自らに問うていたが、今日の至言『わきの下のひよこ』は、ぼんやりラジオに耳を傾けていた私にさえも「言葉の中に在る宇宙」を的確に示してあまりあるさすがの一言だった。外だけでなく、言葉の中にも宇宙が在る。言葉が閉じるも開くも、けっきょくは使い方次第なのだと切に感じる。 そして「古池や蛙とびこむお湯の音、と松尾芭蕉も英語で書いておりますね、、、川柳っ」。はて?なにかな?と思ってふとそこで立ち止まってみると、センキューと川柳をかけてたのかよjk。。と秋の朝の細々とした白い光の中で私は、実にしみじみとした気分で冷めたコーヒーを一口すすったのだった。